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1-18 内部留保の爆弾

\カネは景品の交換券のようなもの。そんなものを貯め込んで、身の程知らずのレバレッジをかけると、かならず失敗する。それより、世間の御愛顧の方が大切だ。\

 経済学の教科書だと、貨幣経済より前、取引の初めは物々交換だった、などと書いてある。だが、歴史学的にはそうではない。貨幣以前には、何が等価か、を決める方法すらなかったのだから。実際は、村の中での困ったときの助け合い。足りない人に、余裕のある人が手を貸す。貨幣以前では、主たる財産は穀物であり、いま、余裕がある、といっても、やがて腐って無くなってしまう。そして、情けは人の為ならず、と言うように、人生には浮沈もある以上、余裕のあるときに人を助けておくことこそが、足りないときに人に助けてもらうための、最善の社会的な「蓄財」の方法でもあった。

 だが、この貸し借りは、長期で帳尻を合わせられる村の中でだけのことで、外との単発の貿易は難しい。ここに成立するのが「神殿経済」。たとえば、最高の大魚が捕れたら、これを神殿に奉納しにいく。すると、そこには、なぜか最高の材木が置いてあり、これを神様からの賜物として村に持ち帰る。そして、また別の村が、最高の工芸品を納めに行くと、そこには、最高の大魚が置いてある。半端な質のものを納めたら、神罰が下る。

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