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1-85 なんでもできる豊かさの貧しさ

\現状に危機感を持つのはわかるが、あれこれ目移りしてばかりでも、どれもものにならない。かといって、儲けのために我慢しても、やはり続かない。自分が楽しめることを楽しみ、それで人をも幸せにすれば、儲けもついてくる。\

 昨今やたら新しいものが多い。不景気と言うわりに経済意欲がありあまるのか、それとも、ヤケの一発狙いなのか。就職活動の学生でも、だれもかれもが企画に行きたい、クリエイティヴな仕事がしたい、と言う。だいいち、企業の上層でさえ、未曾有の変革期だ、とか言って、次から次に新規事業を手がけ、組織改革ばかりやっている。社内には、そのための大小さまざまなプロジェクトだらけ。毎日、あちこちの部所の人間が会議室に集められ、ほんとうにやるのかどうかもわからない絵ぞらごとを真剣に話し合っている。こんな調子で、いったいいつになったら、まともに実際に働くのやら。

 現状のままではうまくいかないという危機感はわかる。だが、これでは、まるで集団的パニック障害だ。ダメな子供は、あれこれ参考書ばかり買い込んで、それでおしまい。趣味も、野球をやったかと思えば、サッカーに目移りし、そのうちギターにあこがれ、こんどはテニスだ、サーフィンだ。どれもこれも、道具はホコリをかぶって、結局、なにもモノにならない。やっぱりオレは才能がないからな、などと言って、それで、またすぐに次のことを始める。そんな一生。しかし、これは豊かさゆえの不幸だ。

 貧しい地区の貧しい家庭に生まれ育ち、来る日も、来る日も、通りの楽器屋のショーウィンドウに輝くトランペットを眺めている。将来の希望などなにもないその日暮らし。そして、十三歳のとき、お祭り騒ぎにうかれて、冗談で銃をぶっぱなし、すぐに逮捕。ところが、少年院にはブラスバンドがあり、あのあこがれのトランペットを貸してもらえたのだ。以来、毎日、練習とも思わず、ただ楽しみに吹き続ける。ルイ・アームストロング。おそらく世界の歴史でもっとも有名なトランペッターだろう。だが、彼は言う、有名になりたかったわけじゃない、ただラッパが吹きたかっただけなんだ。

 石の上にも三年。ところが、この言葉も、近ごろは部下を黙らし、ムリを強いるために濫用されすぎだ。冷たい石も座っていれば暖かくなる、と言うが、茹でガエルの譬えもある。カエルを煮るなら、冷水から。なまじだんだん暖かくなるものだから、飛び出すタイミングを失い、そのまま黙って鍋の中で死んでいく。そもそも冷たい石の上に座ること自体、頭がどうかしている。ネコは、陽に暖まった石の上にしか乗らない。そして、いったんそれを見つけたら、三年どころか、一生、その上で気持ちよさそうに寝ている。

 あちこち目移りしても本当のおもしろさはわからない。かといって、カネ儲けのためにムリに我慢しても続くわけがない。嫌々で、物事を極められるわけがない。儲かりそうな仕事、カネになりそうな事業ばかり探しているから、どれもダメなのだ。どこで弁当を食べようか、と、景色のよい公園の中でうろうろしているうちに、昼休みの時間が無くなってしまうようなもの。人生も、企業も、時間や予算には限りがある。そして実際、転職コスト、転換コストは、仕事や事業の質を高めることのない巨大なムダだ。そんないいかげんな新規投資ばかりやっていると、原資自体がすぐに無くなる。

 いったん自分でおもしろそうと思ったなら、そのおもしろさをどこまでも楽しむ。自分の楽しみなのだから、儲からないのは当然。しかし、それが自分だけでなく、人をも幸せにするものであれば、ありがたいことに、おのずから儲けもついてくる。もっとも、ここで儲けに気をとられれば、自分の楽しみも無くなり、人の幸せも失せ、儲けも消えてしまう。まず自分が楽しみ、それで人を幸せにする。それ以上に欲を出せば、しくじる。

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