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2-11 将来に絶望しているキミへ

\絶望的なやつは、あまりにも絶望的で、絶望的なことに気づくこともできない。だが、希望は、今の自分ではない自分をめざすという意味で、もともとそこに絶対的な断絶を含んでいる。そして、この絶望の深淵を知るものだけが、これを踏み越えて真に希望を叶えることができる。\

 おれは酔ってねぇ! と、どの酔っ払いも言うものだ。酔っ払ってしまっているのだから、酔っ払っていることなどわかるわけがない。同様に、ほんとうに道に迷っているやつは、道に迷っていることにすら気づきようがない。バカは、自分がバカであることすらわからないほどにバカ。逆に、酔ってるかも、迷ったかも、オレってバカかも、と気づいているやつは、まだ救いの道が残されている。

 ふつう絶望というと、希望があって、それが絶たれた状況のように思われがちだが、じつは、現状に安住して、なんの希望も持たないのも絶望的だ。まして、叶いっこないような希望に夢を膨らましているのも、これまた絶望的だ。そして、絶望的な連中は、あまりにも絶望的であるがゆえに、自分が絶望的であることにすら気づくこともできない。

 あなたの周りにもいるだろう。ある日、突然、政治家になる、とか言い出して、なけなしの全財産を選挙に注ぎ込んでしまう瞬間沸騰なやつ。アルバイトなんか割に合わない、とか言って、ごろごろと引きこもりを続けている粗大ゴミなやつ。本人は何を考えているのか知らないが、端からすれば、どう見ても絶望的。そんな生き方は、ある意味で、毎日が自殺だ。今日の自分を生かすことを知らないから、明日にはけして辿り着けない。

 そもそも希望というのは、もともと絶望的なもの。今の自分と、なりたい自分は、別。そこには絶対的な断絶がある。だからこそ、それをどうつなぐかに腐心する。こんな自分のままではイヤだ、という、そのイヤな自分しか持ち合わせていないのに、そのイヤな自分をどうにかこうにかナダめスカして、一歩でも半歩でも理想の自分へと近づけていく。それも、ときには、思いっきり遠くの道へ迂回しなければならないかもしれない。

 言ってみれば、人生はスゴロクだ。一発で18の目でも出せれば楽だが、サイコロの目はどうがんばっても6まで。それどころか、今のダメな自分は、3の目までしかなかったりする。それでは割に合わない? だが、一歩ずつでも前に進んで、うまく表通りに出られれば、サイコロを2個使ってよい、3個使ってよい、というような身の上になれるかもしれない。もちろん世の中には、最初から恵まれているやつもいる。しかし、人をうらやんでいても何も始まらない。まずは手持ちのサイコロから始めるしかあるまい。

 また、今日という日は生ものだ。明日には取っておけない。パスをしたからといって、後で二回振ってよいわけではない。とはいえ、幸いに、それはまた日配品でもある。明日にはまた、かならず新しいチャンスが保証されている。今日、6の目が出ても、明日もサイコロを振る権利は与えられる。だったら、振らないより振ってみた方が良いに決まっているだろう。何の目が出るにせよ、今日は今日として、威勢良く振ってみよう。

 とはいえ、今日は右へ行き、明日は左へ行くのならば、結局、何日経ってもどこにも進まない。もっと遠くの山の頂かなにかを目標にして、それに向けて今日も一歩、明日も一歩。だが、歩き出せば、道はあまりに遠い。絶望的な気分になる。しかし、その絶望こそが本当の希望だ。キミはその絶望を見据えてこそ、日々の間に横たわる絶対的な断絶に落ち入ることなく、着実に一歩一歩、その断絶を跨ぎ越えて進むことができる。

 絶望の深淵を知る者だけが、本当の希望へと近づく。世の希望に酔っているバカたちを見て怖じ気づくことはない。道に迷っているキミこそが、迷っていることを知っているがゆえに、いつかきっと真にキミの希望を叶えることができるのだから。

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