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2-9 月を熊手で掻き寄せる

\ウィルトシャー人は、あいかわらず羊と昼寝ばかり、と、英国の中でバカにされていた。だが、じつは。。。充実した生活のフリばかりをしていても、その果実はあなたの口には入らない。人生の最期にほんとうに笑うには、どうしたらよいのか。\

 緑の野の広がるコッツウォルズ(羊の丘)は、英国の中でももっとも美しい地方のひとつだ。なかでも、ウィルトシャー州は、カースル・クームなどの魅力的な古い小さな村があちこちに点在している。とはいえ、英国の中でウィルトシャー人と言えば、間抜けな田舎者の代名詞でもあった。

 というのも、英国が羊毛で栄えたのは、はるか昔の十六世紀以前の話。その後も英国は、フランスとの戦争を繰り返して大陸側の領土を失い、羊毛の加工販路は細る一方。代わって、植民地インドからの安価な綿織物が大量に流入した。十八世紀にもなると、他の地域は、地力回復のための休耕無しで出来る輪作が工夫され、爆発的に生産高を増やしていた。ところが、ウィルトシャー人ときたら、あいかわらずのんべんたらりと野っぱらで羊と昼寝ばかりしている。これでは、バカにされるのも当然だ。

 そして、その夜は、ちょうど満月だった。仕事で遅くなった地方監督官が家路を急いでいると、小さな池に村の男たちが集まっているのが見えた。「止めろ! なんだ、なんだ?」 監督官は、馬車を降り、池の縁まで下っていった。「どうした? 何をしている?」 大きな熊手を持った村の男の一人が答えた。「へぇ、見て下せぇ。あそこに、ほら、うまそうな、でっかい丸いチーズが浮かんでるんでやんしょ。あれをなんとか取れねぇか、って、みんなで思案してるところでさぁ。お役人さま、なんかええ方法はねぇもんだろか?」

 水面(みなも)の月を熊手で取ろうとは、まったくバカな田舎者たちよ、と、監督官は、大笑いしながら、馬車に戻って、去って行った。それを見て、村の男たちは、さらに大きな声で笑った。じつは、池の底にはブランデーの樽がいくつも沈めて隠してあった。密輸品だ。英国政府がフランスと戦争をするものだから、同盟国ポルトガルの水っぽいワインしか手に入らなくなり、このころ、高級濃縮ブランデーでワインを強めて飲む習慣が英国中で大流行していたのだ。そして、日中、野っぱらで羊と昼寝ばかりしているウィルトシャーの村の連中こそが、夜になると密輸ブランデーの樽を、道々の池に隠しつつ、ひそかにブリストル港から大都会ロンドンへ運び込んでいた。

 ムーンレイカーは、最後にほんとうに笑うやつ、という意味で、007のタイトルにもなっている。いまだって、ウィルトシャーは、古い村をそのまんまにしていたというだけで、観光客が世界中から押しかける。機械仕掛け、電気仕掛けでアトラクションを動かし、しょっちゅうリニューアルしなければならない人工のテーマパークやショッピングモールより、どれほど効率的か。

 さて、あれこれの電子機器を駆使し、寸暇も無く、充実した毎日に大活躍するビジネスマンたち。あなたたちがソーシャルネットワークだの、ツイッターだのに振り回されている間に、あなたたちがバカにする「情報弱者」とやらが、いったい何をやっているのか、知っているのか。バリバリと男社会の壁を破り、いつまでも若さと気力に溢れるキャリアウーマンたち。あなたたちが世界を回し、経済を動かしている間に、あなたたちが蔑む、XXちゃんのママ、という肩書きしか無い「専業主婦」が、どんな時間を過ごしているのか、わかっているのか。

 世間の流行に乗せられ、充実した生活のフリばかりしていても、その果実は、結局、あなたの口には入らない。そんな高額の通信費を使って、それだけあなたの仕事の効率は上がり、それ以上にあなたの給与が増えたのか。それは、仕事をしているフリをするためだけのもので、むしろ、ほんとうは、仕事のじゃま、じゃないのか。まあ、せめてつかの間の休みくらい、メールも、ネットもやめて、ウィルトシャー人のように、のんびり昼寝でもして、この機会に、生き方、暮らしぶりをよく考え直してみてはどうか。

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