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1-29 ウソつきの言うことはウソ

\我々は、自分の希望を交えて、人の言葉を額面どおりに真に受けたくなる。だが、相手がウソつきでは、信じるにはたらない。言っていることより、やっていることを見て、ウソつきの本音を見抜こう。\

 あの人、もうすぐ奥さんと別れて、私と結婚してくれるって言ってるの。こんな相談を受けたら、あなたはどう答えるか。妻を騙して愛人を囲うような男だ。その男が愛人に言う言葉など、信じる方がどうかしている。妻を騙すくらいなのだから、愛人を騙すことなんて、なんとも思ってはいまい。

 キリスト教の成立期、布教の中心人物パウロが、司教としてクレタ島に赴任したテトスに送った手紙とされるものに、「クレタ人でさえ、クレタ人はウソつきだ、と言っている」という言葉がある。そう言っているクレタ人自身がウソつきなのだから、クレタ人はウソつきだ、は、ウソだ、などという屁理屈は、とりあえずどうでもいい。

 かつてエーゲ海のギリシアやクレタ、小アジア(トルコ西岸部)は、世界の中心と思われるほど繁栄していた。しかし、西に強大なローマ帝国が出現し、地中海世界を統一したとき、エーゲ海諸都市は、一気に衰退没落してしまった。このため、才覚のある者は、早々に故郷を捨て、伝統の弁論術を生かし、ローマ各地で教師や論客として生活の糧(かて)を得た。いわゆる「ソフィスト(知恵者)」の末裔(まつえい)だ。

 テトスへの手紙では、彼らのことを「律法に服さない者、空論に走る者、人の心を惑わす者」と呼び、「恥ずべき利のために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を壊してしまっている」と言う。人間、喰っていくためなら、意表を突いた教えを撒き散らし、ケムに巻いた人々からカネを巻き上げることも辞さないだろう。その教えをほんとうに実行してしまう人がどうなろうと、知ったことではない。そして、現代日本も、いまだバブルを引きずり、新興宗教のような人生指南、生活教授のマニュアル本が幅をきかす。

 ドイツの解釈学者ガダマーは言う、ウソは、ウソをつくことによってウソであることを現し、かえってそれが隠している真実を示す。ようするに、わざわざ言うことがおかしいのだ。もうすぐなんとかする、悪いようにはしない、いずれ必ず埋め合わせはする。そんなことを言うのは、よほど後ろめたいから。それでいて具体的な約束として言質(げんち)を取られることを巧妙に避けている。こんな言い方をする人物は、あなたが思っている以上に、裏でもっとひどいことをあなたに対して企んでいるにちがいない。いざ、となっても、努力はしたし、実現を確約した覚えもない、と、口先だけで言い逃れるだろう。実際は、これまで、どうにかしようとしたことも、まったく無いくせに。

 ウソを見破るには、西哲カントが言うように、言葉の額面ではなく、その行動が普遍的にどう成り立つかを考えてみればよい。妻を捨てて愛人を取るなら、いずれその愛人も捨てて次の愛人に走るにきまっている。次回には悪いようにはしない、と言うなら、きっと次回も、次回には悪いようにはしない、と口先で言うだけで、むしろ確実にまた悪いようにする。そして、きみだけは特別、は、ウソの典型。おそらく、すべての人に、きみだけは特別、と言い散らして歩いている。

 一回限りしか通用しない裏技など、人を騙し、出し抜くもの。小賢しいソフィスト連中が語るのは、物事をおもしろおかしく聞かせる一種の話芸。そんな内容をどこぞで聞きかじってきて、真(ま)に受け、ほんとうに実行したら、そのたった一回で得たものよりもはるかに多くを人生に失う。愚直と言われようと、誰に対しても分け隔てなく誠実に向きあっていてこそ、なにものにも代え難い貴重な信用を築き上げることができる。

『百日一考: 働く人のための毎朝の哲学』

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