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面接をけって、ブランコにゆれて、キミをこえて。


高3の時、私があまりにも勉強をしないものだから、父はそんな私を夏休みに九州からはるばる東京の予備校におくりこんだ。

その間、叔父のうちに滞在し、予備校に出席したのは1コマだけ。

私は、勉強するなといわれて育てられ、宿題をしただけでも父に怒られるほどだったのに、いったいなんの心境の変化があったのだろう。

東京に滞在中、九州から来たクラスメイトと、ミーハーまるだしで、私たちが大ファンのバンドの出身大学を見学に行った。

パリの映画学校に行きたいと言いつつも、その情熱と同じくらいに当時はこのバンドが大好きだったのだ。

その後、私は推薦の制度の意味をよくしらないまま、この大学を受験することになった日のこと…。

試験当日


教室に入って、席にすわって、さぁ、用紙を開いて

設問も読まず
ただひたすらに、


【世界のどこであろうと
家族がいる場所が大切なのだ】


などと書きはじめ、
すっきりすると、
席をたって静かに教室をでた


大学のちかくの公園で
ブランコにのってゆらゆらゆられた


つぎは面接

さぁ、かえろう


向かったさきは、
渋谷のタワーレコード

東京、ありがと、センキュ、グッバイ


九州につくと、
おもいをよせていた人に連絡をとった


私の部屋の天井に光るプラネタリウムを
彼とふたりでながめていた


大人に一歩ちかづく明日がくることさえもこわくて、
あのまま消えてしまいたい夜だった


入試当日、この大学に合格すれば、父にここに入学させられてしまう、そしたら私の人生まで決まってしまう、そんな考えにおちいった。

そして、小論文試験で、私は父に沈黙のNOを突きつけるために、試験開始とともにすぐに教室を出る勇気はなく、こんな奇行に走ったのだった。

父に、映画学校に反対するのなら、哲学部に行きたいと言っても、「何にもならん」と言う。私がやりたいこと、行きたいところを、すべて否定しかしなくて、私は生きる気力を失いかけていた。

そんな時に救ってくれた、あの日のあわい恋物語もあったなぁと、おもい出した。


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