とどけ、やさしい人へ
小さい頃から祖母に「やさしい人になりなさい」と言われて育った。
姉や両親などと喧嘩をして腹を立てていると、祖母は必ずのように「やさしい人になりなさい」と言って私をなだめるのだった。
だから、誰かが「やさしいね」と言ってくれた時、それは私にとって最上級の褒め言葉となった。
生まれつきなのか、私はニコニコしていることが多い。小さい頃は、いつも笑顔でいるのを「なんでいつもニヤニヤしてんのよ」と、姉から怒られるくらいだった。
その笑顔のせいか、よく「やさしく」見られる。精神科の主治医にまで「やさしい」と言われた時には、それが証明された気がして、シメシメとさえ思ってしまった。そんなイジワルなところもちろん大いにある。
ある日、何の話の流れだったか忘れたが、その主治医に「やさしいから」と言われた時、なぜか視点が一瞬変わった。
その時の「やさしいから」は、「傷つきやすいから」という意味に聞こえたのだ。だから、その「やさしい」は、褒め言葉ではなかったのかもしれない。
私が言われる「やさしい」は、時にお節介だし、ゆるいし、良いことばかりではない。所謂、繊細さんとは違って、空気が読めない鈍感な「やさしい」で、ありがた迷惑もかけてきたと思う。
それでも、やっぱり祖母の教えを思い出して、理想の「やさしい」人になりたいと思ってしまう。なぜなら、もちろん、私は「やさしい」人が好きだから。
中でも、自信のない「やさしい」人、騙されないか心配になっちゃうような人に出会うと、つい一緒に冒険したくなる。
そこに「つよい」が加わると、すごくカッコよくなると思うし、生きやすくなると思う。さらに「おもしろい」が足されたら、人生がとても豊かになると思うのだ。
自信のない「やさしい」人が、「つよい」とか「おもしろい」を獲得していく姿を私は見てみたいし、私も一緒にやってみたい。何かの主人公と友達のように。
去年亡くなった祖母は、優しくて強くてよく笑う人だった。私もいつか、そうなれるだろうか。なってみたい。
私はこの「ほぼ日」(ほぼ日刊イトイ新聞)を読むのが日課なのだが、そこから出版された、ながしまひろみさんのマンガが『やさしく、つよく、おもしろく。
そのタイトルをおもいだしました。
とどけ、やさしい人へ。
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