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続・自分の名字がついた祭に行った話

初めて対面した鷲見神社は、鷲見の名を持つ者だけが捉え能う波動に満ち満ちており、それは瞬時に踵から入電し全身を伝って血の奥を震わせた。

これは、、本物だ。
口には出さぬも我ら三人はそう直感した。今すぐ鳥居を拝進し始祖頼保公に無沙汰の詫びを請わねばとの衝動に駆られる。がしかし、晩秋らしからぬ大雨に祭の会場は神社より北直ぐの廣厳寺へと移っていた。時間が迫っている。

眺めるだけでただちの参拝を一旦諦め、再び車に乗り込みナビの示すまま寺方向へと舵を取ると、なんのことはない目と鼻の先に、会場はここですと言わぬばかりの大層なお堂と人影が見受けられた。駐車場で慇懃な案内を受けると、境内へ歩を進め受付を経て本会場である本堂へと、まるでここに来る事が昔から決まっていたかの如く、流れるようにスルスルと進んだ。
本堂の敷居を跨ぐとそこには、大雨にも関わらず五十人は下らないであろう鷲見の一族が集結していた。一見なんの変哲もない田舎の爺さん婆さんといった風情だが、鷲見一族だと思うとグッと胸にくるものがある。ような気がしてくる。いや正直こないが、そこは自分を盛り上げるためにもグッときたことにする。多少なりとも若い世代も見受けられた。それなりの顔見知りなのであろう、厳粛な空気の中に和やかな会話や笑みが漏れていた。

初めて対面する緊張の面持ちを隠し得ない我々は、促されるまま歩を進めているといつしか本堂の中央へと流れ着いてしまい、ぽつねんと三人、オールドスクール鷲見族に四方を囲まれる形になっていた。周囲を見渡すと、チラチラ視線が合っては直ぐ消える、如何ともし難い永遠にも感じる気まずい時が続く。
まさか、我々の不真面目な心持ちを、一族にのみ備わるという鷲力(わしりき)で見抜かれたのではなかろうか。掌に汗が滲む。
しかし、これといって我々に対し攻撃が仕掛けられることもなく、ひそひそ話に邪推する笑語の声は響き続けた。

そこで、はたと冷静に自らの立ち姿を見て気がついたのであるが、私も兄もデザイナーという職業柄か実家が洋服屋を営んでいたDNAからか、いささかファッションモンスター的な無駄極まりない素養がある。今日の私はというと、地を這うような漆黒のびらびらロングコートを役立たずのブラックてるてる坊主の如く纏っており、兄に至っては、イスラム教徒が酒に酔って書いたような模様のロングカーディガンに、股下が半分つながったモモンガのごときパンツを履いている。原宿の肥溜めに落っこちて煮しめたような格好である。齢五十を過ぎた白髪混じりのおっさん二人は、岐阜の田舎町ではついぞ見かけることのない反社会人ぶりをダダ漏れに振り撒いていた。私は野に降った鷲見族の成れの果てを露呈する浅はかな個性を恥じた。およそ兄は何も感じていない。

そんな透明バリアに包まれながらも、本懐である「はて鷲見家会とはなんたるものぞ」との解を知りたく、さて一体誰に話しかけたら良いものか、そもそもそのような軽口を叩ける場なのか。図りあぐねただただ閉口したままモジョモジョ立ちすくむ度胸のない我ら。ここは一つ俺が行くと玉砕よろしく斬り込んでゆく見せ場ではないのか長兄よこの意気地無しめえいえい。などと自分のことはしっかりと棚に上げ心の中で罵倒鼓舞してみるも思いは届かず、エヘヘとだらしなく愛想笑いし続けた末、何故だか最前列に着席する羽目になった。

最悪の状況である。
厳粛な式において最も陣取ってはならぬ席なことくらい子どもでも知っている。居酒屋で上座に座っちゃったてへぺろとは訳が違う。禁断のポールポジション。

(ここガチ直系が座るとこやないの。やばない?)小声で兄に話しかける。
(ええですました顔しとけ。)おおうここにきて長兄っぽい懐の広さを見せてくるではないか。正解なのだかさっぱり分からぬが妙に力だけはある。デザイナー三十年のキャリアは伊達ではないということか。何かあっても兄のせいにしようそうしよう。そう決めると気持ちも楽になり、指示通りのすまし顔、見てるようでどこも見ていないような遠い目に口元へ微笑を湛え、どこぞの公家さもありなんといった所作で、元鞘の如く背骨から垂直に、すんと着座した。
それが合図であったかのように、本堂の大広間は水を打ったような静寂に包まれた。

いよいよ祭りがはじまる。


しつこく続く

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