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着物と私と着物業界と。

今日は大好きな着物と、それに伴う残念な思いを書きたいと思う。

私が着物にはまってから1年半。
元々祖母が着物生活だったのと、
母が着物や帯に刺繍をする和裁が趣味なので、小さい頃から身近に着物があった。 
あったが、全く興味がなかった。
お正月に時々着たり、浴衣もたまに着る程度。

40代半ばという歳のせいか、
ある日結婚式のお呼ばれで着物を着たその日、
着物と帯を合わせることの楽しさや、
ぴたりとはまった時の美しさに気づいた。
それは本当に衝撃的だった。

自装教室に入って3ヶ月後には、将来の職にしようという願望が固まり他装教室に入り直した。

実家のタンスに眠っている着物たちが役立つという勿体無い精神も喜んで、
実家の母も趣味を共有できることで喜んで、
仕事ではゴマすりと強い心がないと生き延びれない立場になり、50過ぎたらこんな風には続けられない…と考えていたことも後押しし、
着付け師への道をひたすらに走っている。

仕事の新しいツールや施策は記憶に中々留まらないが、
着物に関する知識はジャブジャブ入る。
脳が喜んでいるのを感じた。
興味あるところに泉が湧き出てる。
走って飛び込んで頭から着物の知識を浴びる。
浴びても浴びても出てくる。
着物は深い。
とても幸福な脳と体の使い方だ。
習うのが楽しくて仕方がない。

最初の自装教室は、呉服屋さん経営のワンコインの教室だった。
3ヶ月目、着物の勉強会に参加したら、教室は反物が一面に並んでいた。
勉強は20分程度で終わり、
私にぴたりと張り付いて離れない一人の全然知らない先生。
あれよあれよという間に私の体には反物が着物のように着付けられ、
あれやこれやと帯を変え持ってくる。

結果、夏帯を買った。
逃げられなかった。
もちろん…買っていなかった生徒もいたので、私が断ることができなかったのは事実。
予想していない28万円の出費。
ドキドキした。
でも、すごく気に入っていた。
私が気に入った柄なのだから、って何度も何度も言い聞かせた。
なぜなんだろう。余裕のフリをして、
カードを切った。

一つのカリキュラムを終えた修業パーティー。ホテルの大広間で、着物で参加することは、とてつもないワクワクに包まれた。たくさんの着物を着た生徒たち。先生が「圧巻」と称したのはこのことなのね。

帯を買わせたお勧めした先生は、あの時言った。「是非修業パーティーに付けてきてね!」

修業パーティーですれ違ったその先生は、私に気づかず、帯に気づかず、声をかけてくれなかった。

私にとってはとても大きな買い物で、
大切な宝物が一つ増えたのに、
それを勧めたあなたにとっては
仕事でしかなかった。

その後その学校の更新をしなかった。

正直、他装教室も、呉服屋経営ではなくとも、反物祭りは定期的に開催され、先生は買わせるために必死だ。
(逃げる技は身につけた)

マージンがないとやっていけないのが伝わる。
もっと受講料をあげてもわたしは払うのに。


今、自分の価値を上げ、向上したいもののために、おかねは喜んで使う時代になってきている。

さらに付加価値を上げ、金銭面はクリアにすべき。
人は価値に納得したらお金を払う。
言いくるめられ買わされた感が少しでも残ると、不信感が生まれ、次回はない。
リピーターを作れない。

サービスを提供する同業として思うのは、着物業界はとてつもなくお金の使わせ方が、昭和のまま、時が止まっていることを感じる。

資格取得の認定料も、受験前に初めて聞いたのだ。10万円以上だって。値段に驚いたよりも、受けると決める前に言ってくれなかったことに驚いた。

さて、今日。
前に着物で歩いていた時に声をかけられた呉服屋さんで、麻の足袋を予約したので受け取りに行った。

今日はろうけつ染めの先生がいらっしゃるとのことで、職人さんのお話を伺いたくてお店に上がった。

好みの反物もあった。正直試着もしてみたいと思った。
でも周りに3人の店員と先生に囲まれて、これは逃げられないと感じたため、好きな色を聞かれても答えなかった。

とにかく、わたしを4人の大人が褒めるのが気持ち悪かった。
わたしの服、肌の色、目、背筋、
実家の場所、今住んでいる場所、
なんでもなんでも褒め称え、おだてる。

気持ち悪いだけ。
だれがこれでいい気分になるんだ?

職人である先生までもが、
なんとか買わせようとするその言動が怖かった。
わたしの持っている帯を聞き出し、
じゃあこれなら持っていないという種類を持ってきて、
可愛いとも素敵とも言っていないそれを
私に巻きつける。
店員は電卓を叩き、金額を出す。
この半幅帯は46万円。
ローンを組ませようとする。
横で見守る出張着付け師の先生は、
「いいから聞きなさい」と小声で言った。
ぞっとした。


職人は売れなければ生きていけない、
というならば、もっといい売り方はある。

無理やり売らないこと。
あなたの作品のファンを増やすのだ。

素敵な帯だと私も感じた。ファンはきっといる。
そのファンはあなたに直接会っていない人だろう。ろうけつ染めのあの先生は、安っぽい人格で作品を台無しにしている。

いつかこんな帯が欲しい。もっと着物に詳しくなったら買いにまたこよう、そう思いたかった。

でも、二度と行きたくない。
闇業界にも見えてきた。

残念過ぎた。
わたしはふらりと立ち寄れる呉服屋さんの行きつけがほしいのだ。
気に入ったら買う。気に入らなかったら帰る。そんな洋服では普通のこと。

最後は私がキレて、「いいものなのにこんな売り方、勿体ないです」と
吐き捨てて逃げるように去った。

帰り道、悲しくて、呆然と歩いた。

すごく悲しい。大好きな着物業界は、
わかってくれない。
嫌いにならせようとしてるかのように、下品だ。

あっちもこっちも知識をひけらかして、お金を出させるのをゴールに設定している。

いつまでそんなことをするのだこの業界は。
押し売りのような売り方でしか生き抜けないならば、とっくに終わっていい業界だと思う。

終わってる!終わってる!
心でずっと反芻している。

でもだからこそ、メスを入れやすいのかもしれない。私に何ができるかな。


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