「あなたは運がいいですか?」と聞かれたらこう答える。「運でしか説明がつかない人生だ」
パナソニックの創業者・松下幸之助さんは、採用面接の際「あなたは運がいいですか?」と求職者に質問をしていた、という言い伝えがあります。
本人の口から聞いたことはありませんが、方々に言われているので本当なのでしょう。
これは、本当に運がいいかどうかを確認しているのではなく、「日々起こるいろんなことに感謝できているか」「運気がやってくると思えるほどポジティブに生きられているか」と確かめるために聞いていたそうです。
運が悪いと答えた人は全員不採用としていたそうですが、その理由もなんとなく理解できます。
では、僕はどうなのか?という話ですが、僕ならこう答えます。
「そうに決まってる」「僕の人生は運でしか説明できない」
大袈裟ではなく、僕は運に生かされていると思っています。
運の良さを自慢したいわけではなく、「たまたま」の連続で今があると本当に思っているので、「僕の人生は運でしか説明できない」のです。
こんな感じです。
これが、直近7年くらいの出来事です。
本当に運でしか説明がつきませんし、それほどまでに出会いに恵まれ続けています。
僕がすごいということではなく、感謝でしかありません。
今仲良くさせてもらっている人たち、頼り頼られている人たちは、この「たまたま」の中で出会った人たちで、それはもう運でしかないと思っています。
起業という道を選んで4年目に突入し、目指すところは全然たどり着いておらず、苦しい日々が続きますが、「不幸なのか?」と聞かれたらハッキリとNOと答えます。
僕は幸せになりたいから事業をしているわけではなく、誰かを幸せになりたいからやっています。
つまり、僕の幸せの軸は別のところにあって、人に恵まれているのでもう幸せだ、と言えます。
たびたび連絡を取り合える友達がこの歳になってもできて、どこかに行っても「すみださーん!」と声をかけてくれる知人も増えて、僕を頼ってくれる人もいる。
もう十分じゃないですか。
これで「不幸だ」とか言ってしまっているなら、それは僕の心が貧しい証拠。
もしかしたら、UVERworld女祭りのラッキーボーイに選ばれたのは、とんでもない幸運があったからではなく、「お前は十分に幸せなんだぞ」と教えられるためだったのかもしれませんね。
運が良い、十分に幸せだと言ったとしても、納得できないことをほいそれと受け入れるわけには行きません。
自分の自信のなさから甘んじていたことにも、ちゃんとファイティングポーズを取っていこうと思います。
翼と牙が折れてもファイティングポーズは取り続け、翼と腕が折れても牙だけは向け続け、牙と腕が折れても翼を使って別の場所へ向かっていきたい。
「運は、待っていたら突然訪れるものではなく、チャレンジの先に訪れるご褒美」だとなんとなくわかってきたので、過度に考えることはやめて、やろうと思ったことはとにかくやっていこうと改めて思いました。
僕の人生は、運でしか説明がつかない。
今後もそれは続くと思うので、僕の人生は運に説明してもらい、僕自身はDon't think.Feelで生きていきます。
PS.
5年くらい前の話ですが、いつも行っていた整骨院に予約なしで行ったら、僕が到着する数分前にキャンセルが出て飛び込みで施術を受けられた、ということがありました。
僕はデフォルトで運がいいっぽいです。
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