ちむぐくるで紡ぐ、私の考えた『ちむどんどん』設定

それは沖縄から始まる家族の物語。

1964年、沖縄本島北部のやんばるに暮らす比嘉一家。
集落から少し離れた山の中で家族6人、つつましく暮らしていた。
父・顕樹はサトウキビ農家を営みつつ、日々料理と三線を楽しみとしていた。
母・由布子は顕樹と共に野菜を育てつつ子育てに勤しんでいる。
長男・顕星はややヤンチャな気質を持っているが、豚の世話に余念がない。
長女・龍子は勉強好きで学校の先生になる事を目標としていた。
次女・乃布子は父譲りの料理好きで、美味しい食べ物に出会うとちむどんどん(心がわくわく)する。
三女・羽多子は父の手ほどきで三線と唄を大切にしているが、病弱で度々熱を出していた。

ある日、比嘉家へ東京から青柳親子が訪れる。
父・文日郎と共に引っ越してきた中学生の和日郎は、中々やんばるの暮らしに慣れなかったが、温かい比嘉家の団らんに触れ、次第に心を開いていく。
和日郎は母親との仲をこじらせており、家族の団らんに飢えていた。
中でも乃布子と山の中で遭難した際、自然の中でも食べられるものを次々に集め、安心を与えてくれた事が和日郎の心に焼き付いた。
後日、乃布子の作った沖縄そばに感動し、また食べさせて欲しいと約束する。
また乃布子は文日郎に招かれたレストランに感動し、料理人になる事を夢見るようになる。

そんな日常が続く中、羽多子が熱にうなされ、顕樹が倒れる夢を見た。
果たして夢の通り、顕樹は心臓発作で急逝する。
自分の見た夢のせいだと苦しむ羽多子。
一家の柱とならなければなくなった顕星はバイトをしながら中学校へ通うが、次第にプレッシャーに押しつぶされそうになる。
由布子は顕樹の叔父・顕興から支援を受けつつ子供らを育てる決意をするが、次第に生活は苦しくなる。
龍子は進学を諦めようとするが、父の「まくとぅそーけーなんくるないさ」の言葉を支えに奮起する。
そんな家族を乃布子は顕樹直伝の料理で繋ぎとめていた。

しかし、やはり経済面での不安が募り次第にバラバラになっていく家族の心。
そんな折、東京にいる顕樹の叔母と名乗る女性から、子供を一人養子に迎えたいという連絡がある。
家族会議の結果、病弱な羽多子に都会の治療を受けさせたいという皆の思いが、羽多子の「父が死んだ負い目」の心と相まって、羽多子の東京行きが決まる。
幼いながらも自分の恋心を、顕星の同級生・砂川武に告げた羽多子は、三線を手に、丁度東京へと帰ることになった青柳親子と共に飛行機へと乗り込んだ。

月日は流れ7年後、1971年。
村役場の事務職が内定していた乃布子だったが、顕星が酒の席で喧嘩に巻き込まれて暴力をふるった事で遠回りに内定辞退を求められてしまう。
責任を感じた顕星は村を飛び出し行方をくらませる。
龍子は念願の教師となり家を出たため、比嘉家は閑散としてしまう。
由布子は顕星の心配をしつつ、「どこにいたって家族は家族。心は繋がってる。乃布子も自分の心に正直に生きなさい」と、料理人になるという乃布子の夢を思い出させる。

乃布子達は、東京の羽多子と手紙のやり取りで、大叔母・大城房代がレストランのオーナーをしていることは聞いていた。
折角なら東京で様々な料理に触れたいと東京行きを考える乃布子だったが、母一人を残しては行けないと悩む。
そこへ龍子が、同僚の石川博文を連れて帰宅。
龍子は結婚を考えていることを報告する。
しかし、石川家へ嫁に入ると、仕事をやめろと義父達に言われたため、博文と共にこの命令を拒絶。
博文も認めてもらうまで実家には帰らない、良かったら比嘉家に間借りできないかと打診してきた。
こうして二人を迎え入れた比嘉家。
いよいよ東京への想いが抑えられなくなった乃布子は、翌年姉の結婚を見届けると単身上京を果たす。

一方その頃、顕星は千葉県の猪野養豚場にいた。
喧嘩沙汰以降、色んな職を転々としていた顕星だったが、繁華街で水商売をしていた猪野清美がチンピラに絡まれている所に遭遇、これを助ける。
その立ち回りを見ていたボクシングジムの会長に見初められ、ボクシングを始めていた。
プロデビューを果たし、順調にキャリアを積んできた矢先、信頼していた会長から八百長試合を持ちかけられる。
受け入れるつもりでリングに立つものの、父の「まくとぅそーけーなんくるないさ」の言葉が胸によぎり、ついKO勝ちをしてしまう。
これにより会長と不仲となりボクシング業界から干されてしまう。
酒場で荒れていたところ清美と再会。
水商売に限界を感じていた清美と共に、清美の実家である養豚場へ身を寄せ、心機一転、豚の世話をする日々が始まった。

1972年5月15日。
沖縄の本土復帰に合わせて上京した乃布子。
久しぶりに会う羽多子はやや大人びていて少し痩せていたものの、体調は良さそうだった。
東京へ来てから熱が出ることも少なくなり、房代の下勉学に励んでいたが、日夜三線の練習も欠かしていなかった。
進路に迷う中、房代から顕樹が実は歌手になりたがっていたと言う事を聞き、自分もまた歌手になりたいという思いを持ち始めていた羽多子。
しかし、乃布子と再会してから徐々に昔のように熱を出すことが増え始めていた。

乃布子は房代のレストランで見習いを始める。
見たこともない食材に心弾ませる乃布子だったが、中々厨房に立たせてはもらえない。
閉店後のわずかな時間、房代に頼んで料理の勉強を始める乃布子。
先輩達からは直接教えてもらうことが出来ないので、味を盗むために日々残り物で研鑽を積む。
次第にその努力を認められ、下ごしらえを任せてもらえるようになった。
そんな時、新聞記者となった青柳和日郎がお店へ取材に訪れる。

和日郎は帰郷後程なく、父・文日郎と死別していた。
沖縄への想いを募らせつつ、新聞社に勤めていたが、母・繁乃とは折り合いが悪いままであった。
文日郎の死により、青柳家の行く末に心配を募らせた繁乃は、家格の見合う相手を見つけなければと数々のお見合いを計画していた。

大野舞は「由緒ある家柄」に生まれ、一人娘であったため自由の少ない中で生活してきた。
それでも自活したいと両親を説き伏せ、和日郎と同じ新聞社に就職。
舞の両親は一刻も早く仕事を辞めさせたかったので、これまた見合い話を幾度も寄こしてくる。

たまたま居酒屋で同席した和日郎と舞。
お互いの境遇を打ち明け、一計を案じる。
二人が婚約者のふりをして両家の親を欺く決意を固める。
舞はかねてよりフランスへの移住を希望していた。
移住への下準備が出来るまで、婚約者のふりをして時間を稼ごうというのだ。
これに乗った和日郎であったが、両家の親は見事にこれに騙され、どんどん話を進めようとする。

そんな時に和日郎は乃布子との再会を果たした。
折り悪く、和日郎の同僚から和日郎達の結婚話が進んでいることを知らされる乃布子。
いつもの天真爛漫さが失われ、料理をする事さえ苦しくなってしまう。

乃布子の不調に引きずられるように体調を崩す羽多子。
二人で病院に行くも原因不明と診断される。
二人の様子に、房代は平良玄三なる人物を紹介する。
横浜の鶴見で沖縄県人会の会長をしていた玄三は、二人を見るなり、二人の不調の原因は「カミヌマブイ(※筆者造語)」であると言い放つ。

玄三によると、房代の生家・大城家はかつてユタを輩出してきた一族であったという。
しかし大正から昭和にかけて、いわゆる霊的な力を持つ者は、近代化を目指す為政者にとっては迷信同様排除すべきものとして弾圧を受けてきた。
房代の両親は長女の於千代が比嘉家へ嫁いだのち、幼い房代たちを連れて追われるように沖縄を後にしていた。
比嘉家が集落から離れひっそり暮らしていたのも弾圧から逃れるためであった。
ユタの才能は女性に多く開花する。
房代には妹の智代もいたが、彼女もまた特殊な力に苦しみ、遠い戦地にいるはずの夫の末期の声を聴き、絶望の中命を終えた。
乃布子と羽多子は共に感受性が強かったが、乃布子の場合周囲のプラスの想いを感じやすく、羽多子は逆にマイナスの想いを感じやすい様だと玄三は言う。
この「人に取りつく想い」や「念」を「カミヌマブイ」というのだと玄三は告げる。
羽多子がやんばるで度々体調を崩していたのは、人々のユタへの忌避の想い、弾圧された側の恨み、そして戦禍で散った数知れない人々の無念の思いがじわじわと羽多子の心に沁みついてしまったからであった。
上京してその念が薄れてきていたものの、乃布子との再会によって羽多子の中に眠っていた負の想いが再び活性化したのでは、と推測する玄三。
加えて、プラスの感情の申し子である乃布子が初めて大きなマイナスの感情に飲み込まれたため、相乗効果で二人同時に体調を崩したのだろうと結論付けた。

二人が元気を取り戻すためには、まず第一に乃布子が「ちむどんどん」する事。
その為には原因となった和日郎との関係をどうにかしなくてはならない。
現状、和日郎から直接結婚の話を聞いたわけではないことが、乃布子を悶々とさせているという事に思い至り、まずは確認する事を決める乃布子。
そして第二に、羽多子は内にこもったものを発散させること。
顕樹の母であり、房代の姉・於千代もまた、内に念がこもるタイプであった。
於千代はそれを唄で発散させていたと聞き、羽多子は本格的に「人前で唄を歌う」事を決意する。

その頃沖縄では、龍子が長女・夏海を生んでいた。
孫が生まれたことで態度を軟化させた石川家の面々。
龍子の仕事を認め、石川家への同居が決まった。
しかし夏海もまた熱を出すようになる。
東京で羽多子が元気になったと聞いていた龍子は、電話で羽多子に相談する。
自分に何が出来るかはわからないが、夏海を助けたい一心で帰郷を決意する羽多子。
どうせなら沖縄で本格的に三線を習いたいと言い帰路に就く。

乃布子は改めて和日郎に連絡を取る。
舞も和日郎についてきて、偽装婚約の計画を打ち明けられ意気投合する三人。
ようやく前向きな気持ちになった乃布子だったが、今一つ「ちむどんどん」が足りないと感じるようになる。

やがて月日がたち、乃布子がレストランで一人前になった頃、舞のパリ移住計画が本格的に煮詰まってくる。
結婚準備を進める繁乃を横目に、和日郎はふと家庭の団らんを思い出す。
それは青柳家のものではなく、比嘉家で過ごしたかけがえのない時間だった。
そんな時間を共有することが出来なかった母へ、初めて慙愧の念を覚える和日郎。
そして乃布子の沖縄そばをもう一度「家族で食べたい」という思いが強くなっていく。

沖縄へ帰った羽多子は、野菜の販売を始めていた砂川武と再会。
夏海の子守りもするようになり、自分も家族を持ちたいと思うようになる。
羽多子の気持ちが前向きになると、その歌声で夏海が笑顔になった。
次第に羽多子の唄が評判となり、お店で歌って欲しいという依頼が来るようになった。
中々人前で歌うことに慣れない羽多子であったが、父の「まくとぅそーけーなんくるないさ」の言葉を思い出し、父へ歌うつもりで歌いだす。

いよいよ「ちゃぶ台をひっくり返す」時が来た。
舞は「自分の歩く道は自分で決めます」と両親に宣言。
積年の想いを洗いざらいぶちまけ、パリへと旅立っていった。
密かに「和日郎なら家族になっても良かったかもな」とつぶやきつつ。

茫然自失となった母・繁乃に詫びを入れる和日郎。
結婚の準備が台無しだと嘆く繁乃に乃布子を紹介し、式を予定通りあげるつもりだと和日郎は言う。
それがそのままプロポーズの形になったが乃布子もそれを受け入れる。
渋る繁乃だったが、乃布子は持ち前の明るさと料理の腕によって繁乃を満足させる。

沖縄料理にすっかり魅了された繁乃は、一度沖縄へ行ってみたいと言い出す。
折角なのでウークイ(沖縄のお盆)に併せ、三人で帰郷する事にする。
久々の三姉妹勢ぞろいに、由布子も顔がほころぶ。
顕星だけがいないことを残念に思いつつ、手料理をふるまう乃布子。
そこへ、猪野牧場で培ったノウハウを沖縄でも生かせないかと一時的に帰郷していた顕星が登場。
長い間の不義理を詫び、ここに比嘉家全員集合となった。

家族の姿を眺め、由布子の目には涙が浮かぶ。
由布子は静かに語りだす。
戦中、自分には両親の他に都喜恵と星児という姉弟がいた事。
空襲と陸上戦の最中、両親と都喜恵とははぐれ、星児も終戦後じきに息を引き取った事。
生きる希望を失った時、顕樹と出会い、その時に生まれ直したと感じた事。
それら全てが今、この時に繋がっているという事。
「みんな、ありがとうねぇ」
由布子が笑う。

羽多子が三線をひき始めた。
歌声は夜空に広がっていく。
羽多子は自然と、自分の中に宿った様々な想いが、実は自分を作り上げてくれた種であると悟った。
その歌声には自信と慈愛が満ちている。

顕星は近況を伝えた。
今、豚を育てることに生きがいを感じている事。
自分の支えになってくれている女性――清美の事。
顕星の話を聞き、東京で沖縄料理屋を開くことを思いつく乃布子。
自分の料理を食べて喜んでくれる人の心が、自分の心をわくわくさせてくれていたことに気が付いた。
父の「まくとぅそーけーなんくるないさ」という言葉も後押ししてくれる。
店の名前は決まった。

沖縄家庭料理「ちむどんどん」

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