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#00 スミゾウnote始めます。

良く知っている人も、初めましてのかたもスミゾウこと住尚三です。
これから100人の方をインタビューをして、こちらに記事を上げて行こうと思います。

なぜ始めるか

家業である、飛騨高山の地で113年続く高山印刷㈱の代表に2020年9月からなりました。30歳でUターンしてから色々な事をさせてもらってきたが、ついに自分が全責任を負うトップになる。


ただ、皆さんもご存知だと思いますが、紙への印刷物はどんどん減ってきていて、どんどん違う事へチャレンジすることが自分や会社に求められています。そんな中で、自分のインプットとアウトプットのサイクルを早める事や、情報を発信する会社としてコンテンツをつくれるようになれれば、地域に貢献できることも増えるであろうという想いから、noteを始めます。

そして、自社や自分がどんな経緯をへていくかを記録として残すことで、共感してくれる仲間が増える事を期待しています。具体的には、今は自分の右腕の様になってくれる人が社内に1人いるととてもうれしいです。未来のそんな人にも読んでもらえるとうれしいなと。


自分が是非あいたい人、話を聞きたい方へラブコールを送り、その内容を記事にしていく予定です。お楽しみに。

自己紹介

住尚三
■高山印刷株式会社 代表
■合同会社YAROKKA(co-ba hida takayama) 代表
妻と娘2人の4人家族 B型 さそり座

<略歴>
・岐阜県高山市に生まれる
・高山でスクスクと育つ(高山幼稚園→西小学校→中山中学校→斐太高校)部活は野球をつづける
・東京水産大学海洋環境学科(現東京海洋大学)へ入学 海洋流体力学専攻
・㈱堀場製作所へ入社 自動車排ガス事業部 東京営業所 3年間勤務
・1年間世界一周バックパッカーの旅へ(17カ国を回る)
・㈱堀場製作所へ復職  自動車排ガス事業部 東京営業所 4年間勤務
・高山印刷㈱入社
・2015年 コワーキングスペースco-ba hida takayama立上げ
・2015年 川床で楽しまナイト主催(高山青年会議所として)
・2020年 高山印刷㈱代表へ

思考、行動パターン
・川下り型人生:人生の節目ごとに選択肢の中から決めていくタイプ
・「やろっか」「なんとかなる」のマインド
・自由度のないところ、強制的にさせられることでは力を発揮できない

●ストリングスファインダー(目標志向/戦略性/活発性/学習欲/親密性)
●利き脳、ハーマンモデル(D70、C58、A55、B17)
●風水:庚金

人生のターニングポイント

海に憧れ東京水産大学へ

高校卒業後の進路を決める際、特に将来なりたい像がなかった自分は、家族でいった沖縄の海のキレイさや、当時これからは環境だという流れを感じていたので、海+環境というキーワードで東京水産大学へ入学。必須科目に臨海実習(遠泳、船漕ぎなど)がある変わった大学であったが、その分たくましくなれたかも。初めての一人暮らしはとても楽しく、地元にいたときは高山印刷の息子という目線でみられていた感があったので、匿名性の楽さを謳歌していた。

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株式会社堀場製作所へ入社

就職活動を始めるにあたり、環境というキーワードをもって動いていた。ただ、環境といっても幅が広くつかみどころがなく、研究職になるつもりもなかったので、企業を選ぶ事に迷っていた。そんな中、たまたま見つけた計測機器の㈱堀場製作所の説明会で先輩社員に憧れ、その人の様になりたいと面接で言い続けたところ採用されることになった。しかもその先輩に入社時直属の上司になってもらい、色々と教えてもらったことは今でも自分の糧になっています。特に「気をつかえ」という教えは「我」が実は強い自分にとってはとてもありがたい教えでした。
また、会社の社訓が「おもしろ おかしく」というのも自分には合っていました。ただ、これは面白くなるまでやりきったのか?という裏メッセージもあり、ほんとにやりきって面白くならなかったらやめた方がいいよという会長の本「いやならやめろ」を入社時もらうという結構インパクトある体験もありました。


これからはグローバル?世界一周バックパッカーの旅へ

バックパッカー写真

会社で3年働かしてもらい、何となく1人で仕事も回せるようになり、このままこの会社で生きていくイメージがついてしまった3年目終わり。自分の中で仕事に飽きてきてしまいました。そんな中、当時会社は海外展開を目指しておりこれからはグローバルだよねという話が多くでてきます。
ただ、自分は世界を見たことがなかったので、それなら見に行ってみるか!と決め、社長論文を書き1年の休職をもらいバックパッカーの旅にでました。当時の上司含め、今考えるとほんとに理解あるいい会社だったなーと思います。
そこで、香港、インド、南アフリカ、エジプト、ヨルダン、シリア、イスラエル、トルコ、ブルガリア、スペイン、メキシコ、ガテマラ、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリと回り帰ってきます。
その時の感覚として、以下の学びがありました。この経験は結構大きかったです。
・やったことない人は否定するが、やったことある人はできるという
・どこに行っても同じ人間だからなんとかなる
・常識は多数決で決まっている

東日本大震災で帰宅難民になり、考えが変わり家業、高山印刷へ

世界一周の旅から戻ってきて同じ会社で働かせてもらい、結婚もし子供も生まれ30歳に近くなってきました。このまま生きていくのもありかなと思っていたところ、東日本大震災がおこりました。
当時、神田に会社があり海の近くに住みたいと思い湘南の辻堂に家があったため、片道約1.5時間の通勤をしていました。そのため、電車が止まり帰宅できませんでした。その時に以下を感じました。
・なんでこんな遠いところで働いているんだっけ
・何かあった時に家族の近くにいれないのって怖いな
・東京で子供がスクスク育つイメージがわかない(昼間からうろうろしている中学生とか多いので)
・ずっと消費し続ける東京生活も飽きてきたな
・飛騨高山とかいいかも
自分が長男という事もあり、家業である高山印刷を引き継ぐべく地元に戻りました。


地元にもどってみたものの

地元とはいえ、12年間離れていたせいで、どこに面白い人がいて何をしているかが良くわからなくなっていました。そんな時に同級生でもあり建築士の浅野翼くんと出会います。ないならつくっちゃえ!という事でコワーキングスペースco-ba hida takayamaをつくりました。

会社の裏の川を活用したい!川床を楽しまナイトを実行

地域を盛り上げる為にどうしたらいいのか?高山青年会議所でチャンスをもらい、やってみたかった川床を2日間限定で開催。様々は人のおかげで開催できました。この時の教訓は1発花火をあげる事はできるが、継続することはとても難しいという事。継続事業にできなかった事が反省です。


そして高山印刷㈱の代表へ

こうやって振り返ると、好き勝手やらしてもらえてきてとても幸せものだとつくづく感じました。

こんな人ですので、よろしくお願いします。




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