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ネット炎上と速水御舟『炎舞』

 Twitterのタイムラインを眺めていると、私の目に燃え盛る炎の煙に舞い踊る蝶の姿を絵画が目に飛びこんだ。
この作品は見たことがある!1925年に描かれた速水御舟の『炎舞』だ。
 この絵を見ると、なんでこの虫たちは炎に引き寄せられているんだろう?と疑問に思ってしまう。画面下部の呪いが刻まれたような炎の姿が印象的な作品だ。
西洋のような目の前の光景をそのまま映し取った写実性ではなく、琳派の系譜を組んでいるみたいな装飾性が感じられた。禍々しいという言葉で当てはめてしまうのが正しいのだろうか?
 ここに描かれているのは、美しいというよりは怖いと感じさせうる炎だ。けれど、そんな炎の渦に美しい模様を持つ蝶が引き寄せられている。それは蝶ではなく蛾なのだそうだ。解説文にはこの絵を書くために御舟がたくさんの写生を重ねたことが記されている。炎の装飾性とは対照的に、蛾はまるで生きているかのような写実性を抱いている。
 相反する性質が絵の中で溶け合って、幻想的という言葉が似合う作品だ。仕事においては何の役にも立たないはずなのに、私の脳内は絵画を言葉に変換してしまう。

速水御舟『炎舞』
https://www.yamatane-museum.jp/collection/collection.html


 
 美しく幻想的だけれど、恐ろしい。「飛んで火にいる夏の虫」という言葉が頭をよぎった。この作品は教科書のページで見た記憶しかなかった。10年以上経って、この絵に今自分が置かれている状況とのシンパシーを感じてしまうこと自体が不思議に思えた。私はこの作品に書かれた炎を「ネット炎上」、そして、火の周りを飛び交う虫たちを「ネット上で炎上を獲物にする人々」のように感じてしまったのだ。百年近く前の作品なのに、2023年の現代に生きる自分の物語のように感じさせてしまうのが、作品が持つ魔力なのかもしれない。
 そして、その妖しい魅力に引き寄せられてしまうんだろう。どうにもならない本能みたいに。虫も人も危険だと知りながらも、燃え盛る炎に近寄ってしまうのはサガなんだろうか?作品の前に立つと、画面の中で見ているのとは異なる質感や前に立った時の迫力が感じられるはずだ。


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