何者かになりたいという呪縛
クリエイティブな活動で生計を立てている方々に憧れるという観点から、一応イラストや漫画は書いているけど、閲覧数も低く知名度もほぼゼロの私ですが、長らく「何者かになりたい」という欲求に縛られていたのではと思いました。
ここでいう「何者か」は主に「神絵師」「大手サークル」「アルファツイッタラー」などが当てはまります。私は絵描き、漫画描きとして認められたいという気持ちを長年拗らせていました。
一応最も病んでいた時期は抜け出したとは思うのですが、たまに疲れや眠気など体調の不良に伴い、メンタル面も落ち込む時にはこの「何者にもなれていない自分」を卑下して恥じて、どうしようもない苦しみに苛まれるということもありました。
最近編み出したこうなってしまった時の解決法は、専ら「何も考えずにただ寝ること」で、結局これが1番効果を感じています。起きると案外気持ちがスッと落ち着いていたりするもの。
しかしつい昨日、長らく己の中にあった悩みの元となっていた「何者にもなれない自分」という問題がスッと片付くことになりました。
今、私には好きな配信者の方々がいます。その方たちは主にYouTube上を活動の場としていて、配信動画の中ではある媒体のゲームをよくプレイしています。無論、そのゲーム好きの界隈の中でも、かなり高い知名度を誇る方々ではと思います。
その方たちの情報を知りたく、Twitterのアカウントもフォロー(もちろん当たり前だけど私からの一方通行)していて、そうすると動画配信等で活動している他の配信者たちとの繋がりみたいのも見えてきます。
私はあまり手を広げるのが得意ではないので、メインの好きな方々以外を追いかけるということは殆どなく、ただ思うことは「好きな配信者さんたちと仲良さそうで羨ましいな」という気持ちを抱くくらいです。推しに対しては少々盲目になってしまうよ……。
名もないただの一般人の私ができることといえば、推しの方々の動画を見て少々お布施をしたり、公式から販売しているものを買ったり、あとファンアートを描いたりするくらいです。
ありがたいことにTwitter上で使用できるファンアートタグがあるので、そこで推し配信者さんたちのイラストを載せるようになりました。
するとある時、タグを巡回していたのか配信者の一部の方々が、私の投稿したイラストにいいねを付けてくださりました。
ご本人のTwitterアカウントからの通知が届いた時、驚きと興奮で心臓が止まりそうな思いでした。
そんなことがあったため、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ夢を見てしまいました。
全くプロでもなんでもない、ただの一般人の素人趣味絵描きの私のくせになんておこがましいんだとは思いますが、本当に一瞬だけ、「イラストをご本人たちに認めてもらえた!」と舞い上がり、これを機に何かイラストのお仕事とか頂けないかと、本当に一瞬よぎってしまいました。
(本当にお恥ずかしい話です。けど戒めのために暴露しました。)
ただの一般人の素人趣味絵描きに対してそんな訳あるかと、今では全力で自分にツッコミを入れるのですが、推したちご本人からの反応というのはそれだけ気を狂わせるんだと思いました。怖いこわい。
それで、昨日何となくTwitterを見ていたら、たまたま私の推しの方からフォローされたことを喜んでいる絵描きの方のツイートを目にしてしまいました。
その時は正直物凄く嫉妬した訳ですが、案外その後即冷静になりました。
というのも、その絵描きさんは確かに物凄く絵が上手い方だったのですが、よく見ると好き配信者さんが主にプレイしているゲームのヘビープレイヤーだというのが分かりました。
多分Twitterで繋がるのってそれだよなとすぐ思考を切り替えました。
私は別にそのゲームのヘビープレイヤーでもないし、ヘビープレイヤーになりたい訳でもない。
それならば、私はただの一般人の素人趣味絵描きとして、ただの1ファンとして、変わらず配信者さんたちを応援するだけです。好きだからファンアートは描かせて頂くけどな。もうそこには、「ご本人たちから反応がほしい」という欲がゼロになった訳ではないけど、殆ど期待をしない「自分が描きたいから描く」という気持ちのが強くなっています。
そもそも、私が好きな配信者さんたちだって、特定のゲーム好きの間では有名だけど、知らない人は全然知りません。
そんな風に考え出したら、そういえばテレビとかネットで話題の人も、自分が興味ない人のことは全然知らないよなと思いました。
私がなりたかった「何者か」像だって、言ってしまえば狭い界隈の範囲内にて通じるだけの話で、そんなもの万人には意味のないものだ。
万人から存在を認められるとしたら、それはもうお釈迦様やイエス様のような神々のレベルの話になるのでは、と考えたら、大抵の人は案外何者でもないんだなと思いました。
誰かにとっては何者かではあるというのは間違いないですが、全ての人にとっては何者でもない。
そう思うと、「何者かにならねばいけない」といった長年の強迫観念はすっかりどこかに行ってしまいました。
こうやってひとつ解決したことは自分にとっては大きな意味のある一歩ですが、生きている限りもしかしたらまた何か違う悩みや壁もできるのかもしれません。
ただ今は、このすっきりとした気持ちを謳歌したいです。
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