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かつて選ばれなかった絵描きの私

私は漫画やゲームなど、原作がある作品のキャラクターへの言葉にできない、おさまらない感情を発散するため、二次創作という手段を使う、いわゆる同人女です。
二次創作活動、同人活動を出力する側での経験がある方は何となくお分かり頂けるのではと思いますが、ただ好きだというファン活動から逸脱した思いが芽生えること多々ありです。
その中の1つとしてあるのが、承認欲求を拗らせるというものです。
神絵師になりたい、大手になりたい、1度でも思ったことのある人もいるのではと思います。
私はそのような他者承認欲求の塊みたいな思考回路を持っていたので、何だかいつもギラギラしていたような気がします。
(現在は落ち着いています。ただ承認欲求は完全にはなくならないので、上手く付き合っていくのが大事だと思います。)

そんなギラギラしていた私が、ことごとく打ちのめされた「選ばれなかった」話と、「ついに手に入れてしまった」話をします。

■「選ばれなかった」話
同人活動がオフライン上のやり取りだった時代、とあるゲームの会員制サークルでのこと

年齢は大体18、19歳くらいの頃。
当時好きだったゲームの会員制サークルに、その時はまだヲタク仲間だった妹と共に入会。
姉妹で絵描きというのはなかなかキャッチーで注目を集めやすく、また、自分も妹もそれなりに熱心に枚数多くイラストを寄稿していたため、会員内でもそれなりに交流が増えました。

このケースでの登場人物
Aさん:この会員制サークル内で最初に仲良くなった人
Bさん:サークル内でトップクラスの画力を持つ絵描き

私はこの当時も絵が上手くなりたい、神絵師になりたい、褒められたい、評価されたい、人気者になりたい!!!という気持ちを強く持っておりました。承認欲求でギラついています。

だから、絵が上手くてサークル内でも溢れんばかりのファンコールを貰っているBさんに物凄ーーく嫉妬していました。醜いですね。
しかし私はギラついていたので、Bさんの絵の描き方というか技法を真似して自分の絵にも取り入れてみました。だけどそもそも画力自体が段違いなため、劣化にしかならんという状態。それ意外にも様々な画風を試して、3パターンくらいの描き方で絵を寄稿してました。今思うと必死過ぎて恥ずかしい。

そんな中、会員制サークル内でもお友達募集という項目もあり、気の合いそうな方々と文通やメール交換など、各々が交流を楽しんでおり、サークルの会報誌も回が進むごとに、お互いの好きキャラをプレゼントに描き合う、「◯◯さんに捧げます」文化が現れ始めた。

私は当時交流のあったAさんとメールのやり取りをしていて、「次の会誌でお互いのリクキャラを互いに捧げ合う相互リクをしよう」という話になりました。
私は当時の推しキャラをAさんにリクして、私もAさんからのリクのキャラを描き、イラスト上に「Aさんに捧げる!」旨の一言も加えました。
上記の通り、Aさんは最初に仲良くなったこともあり、結構な頻度でやり取りをしていたので、仲は深い方だと思っていました。
もちろん、そんなAさんに捧げるために、私としても気合を入れ、丁寧に、1番大きいサイズのイラストを描きました。
(大、中、小と3種の規定サイズがありました)
「Aさんの◯◯くん(私がリクしたキャラ)」楽しみだなと、次の会報誌を心待ちにしていました。

そして、会報誌が届き、それを開いて衝撃を受けます。
AさんからBさんに捧げる旨の、超絶気合いの入った、めちゃくちゃ時間かかったであろうと思われる、丁寧で愛の溢れるBさんの推しキャラたちのイラスト(大サイズ)が載っていました。
しかも、Bさんをあだ名で呼んでいて、いかにも親しげな様子まで分かります。
(この2人いつの間にか仲良くなってたんだ……)と思い、煮えたぎるような気持ちを抱きました。

しかしそれだけでは終わりませんでした。
私がリクしたキャラのイラストは、小さいサイズで明らかに手抜きと分かるような、適当に描かれたイラストというか落書きみたいな絵でした。

ショックでした。

どうしてこんなに差があるのだろうと思いました。
Aさんに対してひどいという思いと、Bさんへの嫉妬でぐしゃぐしゃな気持ちでした。
今思えば、私がAさんと仲良いつもりでいたけど、実は喋ってみてたまたまAさんとBさんが物凄く気が合って、凄く仲良くなったというだけなのかもしれないですが、当時の私はBさんに対して歪んだ嫉妬心を燃やしていたので、「Bさんが人気の神絵師だから、Aさんからもこんなに大事に扱われてるんだ」と、思ってしまいました。
まさに嫉妬心を拗らせた、嫉妬の鬼です。

けどやっぱり、この明らかに分かる格差を付けられたという状態、扱いの差に、プライドばかり馬鹿高い当時の私は悔しくて、悔しくて、悔しくてたまらなくなりました。

「いつか神絵師になってちやほやされてやる」
「いつか大手になって認めさせてやる」

この時から、そういった感情がより強く色濃くなっていきました。

※後日談
何故か色々あってBさんとも仲良くなるのですが、神絵師は喋ってみると気さくで普通の人だったので、最初のギラギラしていた嫉妬心は落ち着きました。
また、Aさんにも特に怒りをぶつけなかったため、割と良好な関係を継続してました。
尚、現在は2人とも関係は切れてます(そんなもん)。

その後、様々なジャンルを経てきましたが、大手の人たちから直接的に馬鹿にされたり、何故か逆に凄く好かれたり、完全に存在をスルーされたり、色々あるのですが、結局大手になれてはいません。
自分では色々工夫してきましたが、こればっかりは向き不向きもあり、自分は向いてない方なのかなと、最近ではすっかりその辺の執着心がなくなりました。

ただ、絵はずっと描いてきたから、確実にレベルアップしています。それだけは変わらない事実であり、しかも自分の好みを追いかけてきたから、自分で自分の絵が好きです。最高。


■「手に入れてしまった」話
現在、アラフォーになった私。
とあるソシャゲジャンルにて。かつてはそのジャンルメインでオンラインにて同人活動してましたが、現在は軽めのイラストをたまに描くくらい小ぢんまりしたペースで関わっています。
Twitterの相互さんも少数。しかもジャンル専用のアカでなく、日常も色んなジャンルの話も他の趣味も話す雑多アカ。非常に適当で、非常に自由度の高いアカウントなため、気楽〜に好きなものを描いてました。
しかし何故か、そのアカウントで投稿した1枚のイラスト。そのイラストを相互の小説書きさんが凄く気に入ってくださり、イメージした小説を書いてくださりました。

!?!?!???!?

そんなことある!????????

これまで、何度も何度も「選ばれなかった私」に、そんなことが起きるの?????

起きてしまいました。現実でした。
しかも、私はその小説書きさんの書く小説が大好きです。無論、頂いた小説も本当に凄く、素敵なお話しでした。


基本的に、承認欲求は他者承認を求めてもいつまでも満たされず、結局は自己承認ができることにより、初めて満たされると、頭では分かっていたつもりでした。
しかし、このようなことが起こり、自分の中で満たされた感覚になりました。
「私の絵も、誰かの心を動かすことがあるんだ」
それが確信となって心の中に根付きました。

私は物凄く幸運です。
このように求めていたものが手に入ってしまうという幸運に恵まれてしまった。
他人の気持ちはコントロールできないからこそ求めても苦しいものだけど、たまたま自分の絵に心を動かされた人がいたという事実。
もうそれだけで救われた思いでした。


結果的にはこのようなことですが、きっとこれも、諦めずに長く描いていたからというのはあると思います。
確率論的にも、やればやるだけ成功率も上がるということで、やっぱり描いて形にしていくのは大事なんだと思いました。

これからも好きなものをたくさん描きたいです。
※現在は二次創作はやめて一次創作を描いています

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