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【日記】ブリッジ|こどもの頃の日記から 25

197X年1月土曜日

弟が Ian の birthday party にいった。

うちにいらしたSさんたちと父と〔コントラクト〕ブリッジをした。
うまくなった、とみんなにほめられた。

あとからTさんが Sa ちゃんを連れていらしたので、
私はブリッジからぬけて Sa ちゃんや〔Sさんの娘の〕Sh ちゃんと
遊んであげた。

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両親からコントラクト・ブリッジを初めて教えてもらったのはいつ頃だったかあまり覚えていないが、親以外の大人のテーブルに混じらせてもらったのは、海外生活を始めてからだった。

英国駐在経験のあった母方の祖父もコントラクト・ブリッジが好きで
毎年祖父の家での新年会は祖父・父・伯父たちでブリッジをしていたのを幼い頃から見ていた。
祖父や伯父たちのお気に入りの洋酒の匂いと記憶がセットになっている。

母・伯母・叔母たちは最も広かった座敷で子どもたちと百人一首をした。
まだかるた遊びの輪に入れない小さい子の子守は交替でしていた。
祖母はみんなを見守りながらすべての采配をしていた。

歌人の伯母は「玉の緒よ絶えなば絶えね」がいちばん好きな歌で、
この札はいつも絶対にとっていたので、
私も「すみのえの」を自分の好きな札にして絶対にとるようになった。

海外生活のあいだ、ブリッジはよくしたが、百人一首をした記憶は無い。
かるたセットは日本からもっていかなかったのかもしれない。

私は帰国後、学生時代に短歌のサークルに入っただけでなく
競技歌留多かるたのサークルにも入った。

ブリッジは、社会人になってから科学技術庁傘下の機関に勤めていた時、
本庁の人たちが作っていたサークルに一時期通ったことがある。