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【映画】La Pirate 「ラ・ピラート」について|ある映画研究者との対話

M君

昨夜『ラ・ピラート』を観ました。

女の情熱の話題で推薦していただいた作品。
ジェーン・バーキンによるアルマと恋人のキャロルが絡む話ですが、
少女の存在感が強く印象に残りますよね。

で、見終わって半日くらいたった先ほど反芻していたとき、
少女がアルマにナイフを渡したり、
最後にアルマをピストルで撃つことの意味が沈殿していって、

なんでもかんでもフロイト的に分析するのはいけないけど、
やっぱりピストルもナイフも男根のシンボルで、
それを少女に持たせる意味の深さなどをもろもろ思い巡らしていると、
ふと、これはアルマの話じゃなくて少女の話。。。
のようで、いや、実は「キャロル」の物語なんだ、と気付きました。

アルマも少女もNo.5ニュメロサンク もすべて
キャロルの心の中にあるキャラクターなんだけど、
それが作品中では別々の人間のように映像化されていることがわかって
(勝手にわかったつもりですが)、面白くてしかたがなかった。

少女も、キャロルの中にある「少女」なのね。
ピストルを何度かおへその上からすべらせてスカートの下、
おなかの真ん中あたりにしまうシーンがあった。
男の子に付いているものが自分には無い、と意識するのは少女時代。
キャロルは、男になりたい自分を抱えたまま女として生きている。

キャロルを出発点にして反芻しなおす。
キャロルと夫だけを実在の人物として考えてみる。

冒頭は車の中に少女と一緒にいる。車は子宮の象徴。
自分の中の少女の声に耳を傾けながら、そこにじっとすわっているのは、
英国人の夫と結婚した娼婦のようなフランス女という「もうひとりの自分」を観ている自分。

イギリス人の夫に英語で話しかけるアルマは、
キャロルの中にいるもうひとりの自分。
アルマは、キャロルの強烈な自己愛の化身なのね。
夫は、フランス女にはシャネルの5番を買って与えてやればいいと考えているようなどうしようもない俗物。

夫と別れて自分らしく生きたいと思いながら
あの人には私しかしない。。。と何度も引き戻されてしまうのは、
キャロルなんだ。
だから船の上で食事をするのはアルマの夫とキャロルなんだ。
だから、ホテルの廊下で泣き崩れる夫に手をかけるのはキャロルなんだ。
アルマとのベッドシーン(マスターベーション)の最後に、
思わず悔し泣きするのはキャロルなんだ。

面白い! 今からもう一度観ます。長文メールになってごめんなさい。

訂正。
早送りしながらもう一度鑑賞しましたが、
キャロルがアルマの夫と食事をするのは
(キャロルは何も食べないけれど)、船に乗る前でした。

ホテルの廊下では、最初にアルマが夫に手を触れようとするけど、
夫が激しく拒否。
しばらくしてキャロルがくると、抱きかかえられて落ち着きを取り戻す。
ニュメロ・サンク(No. 5)が、少女に
「臭い、風呂に入れ」と言われたり、
靴を持って行かれてしまうのも、象徴的。
英国人の俗物夫は、キャロルの自己愛の化身であるアルマにまとわりつく「フランス臭」に金を払っているに過ぎない。

こんなふうに考えると、
バーキンが演じたのは、アルマという女の情熱ではなくて、
キャロルが秘めている「女の情熱」の化身、
「女の情熱そのもの」を演じたのだから凄まじい。

素晴らしい映画をご紹介してくださって、ありがとう。
すみ

私からM君へのメールより 2012年1月22日

すみさま

『ラ・ピラート』を見たのは、もう四半世紀以上前くらいのことなので、
細部はあまり覚えていないのですが、とにかく俳優(女優も男優も全員)も演出(ジャック・ドワイヨン)も撮影もすごくて、
泣かずにはおれませんね。

画質の悪いヴィデオは長年2本もっていたのだけれど、
シネ・クラブ(アテネ・フランセ文化センターだったかな?)でフィルム版で見た、当時の美しい印象を壊したくなかったので、きちんと再見しないまま四半世紀経って、まあ今となってはDVDで見るしかないかと思って購入しましたが、DVDとフィルムでは、後者の方が圧倒的に色彩が美しいので、
まだ買ったまま再見していません。
春休みになったら見ようかな。
すみさんも愉しんで頂けて何よりです。


KM

M君から私へのメールより 2012年1月22日