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【日記】よくばりすぎ|こどもの頃の日記から 2

*10歳になる少し前の日記から つづき

196X年8月XX日 Y曜日 晴れ 気持ちのよい日だった。

午後、イングリッシュの先生がいらっしゃった。
昼食のさい中だったので、弟があわてて客間へ入った。

来週の水曜までのしゅくだいが出た。水曜まで5日間、しゅくだいは5ページなので、1日1ページずつやればよいと思った。

夜、Fさんのおうちへうかがった。
夕食を食べて、N子ちゃんたちとレゴで遊んだ。
それで、「おたんじょう日のプレゼントにレゴもほしいな」と思った。
でも、あまりよくばりすぎはいけないなと、はんせいした。

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自宅にきてもらっていた英語の家庭教師は、若いアメリカ人の学生だった。二歳年下の弟と二人で一緒にレッスンを受けていたので、日記にある「あわてて客間に入った」のは、昼食をまだ食べ終えていなかった弟が「あわて」たのだと思う。日本語で状況を説明するのがあまり上手にできていない。

私たちはそれぞれの寝室に小さな学習机があったが、レッスンは客間に先生をお通しして、そこへ私たちが本や筆記用具を持って入り、コーヒーテーブルをはさんで受けた。休憩時間には母が先生にレモンティーを出し、私たちにはミルクを持ってきてくれた。ビスケット数枚か小さなケーキも。

私たちきょうだいが通っていた学校の先生は圧倒的にイギリス人が多かった。きょうだいでしゃべる英語は自然にイギリス英語になっていたが、父があえてアメリカ人の家庭教師を雇ったのは、こどもたちがアメリカ英語も聞き取れて話せるようになった方がいい、という考えからだった。

日本の学校ではアメリカ英語で英語教育がなされている。dust bin ではなく trash can と言う。colour ではなく color が「正しい」とされる。日本に帰国したときにアメリカ英語ができた方がいいだろうという親心だった。

記憶が甦る。top of the tree の top をイギリス式(トップに近い音)で読んだら、このアメリカ人学生にアメリカンな発音(タップに近い音)に「直された」こと。

おかげでイギリス式もアメリカ式も両方できるようになり、のちに通訳者として仕事をする時、クライアントに合わせて切り替えることができた。


見出し画像は当時のレゴ。

Fさんは父の同僚だった方。のちに某国の大使になられた。