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【日記】じけん(続き)|こどもの頃の日記から 15

「じけん」こどもの頃の日記から14  の続き

前回の日記の内容
196X年1月 冬休みの家族旅行でザルツブルクへ来たが、教会の前でくるまをとめ、中に鍵を入れたままドアをロックして閉めてしまった。

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父が、けいかんか、かぎや〔鍵屋〕さんか、とにかくだれかをよんでこなくてはならないといって、でかけていった。

母は私のヘアピンをかぎあなにさしこんで、がちゃがちゃと動かしている。
私たちこどもは何もやることがないので、さむいから、Mさんときょうかいの中にはいっていった。

きょうかいならただではいれるから、よかったけれど、でも、車のドアがあかないとこまるので、Mさんが「キリストにおいのりしましょう」と言った。Mさんはほんとうに信心深いなあと思った。

しばらくして母がきょうかいに入って来た。

さっきけいかんが来ていろいろためしていたのだけどドアはあかなくて、
「かぎや〔鍵屋〕さんをよびにいってくるから30分くらいまちなさい」と言ったらしい。

さむいから、まっている間はカフェでお茶をのみましょうということになったので、母が私たちをむかえにきたのだ。それで、みんなで近くのカフェに行った。

こうちゃとケーキをちゅうもんし、母と父はしばらくしてまた車のある場所へもどった。さむいから、私たちはMさんとカフェにいることになった。

それから少したつと、白いオペルが走って来て父と母らしい黒い人かげが見えたので、みんなで外へ出たら、やはりそうだった。

けいかんがÖAMTCへしらせてくれて、その人は、はりがね2本だけですぐに三角まどをあけてくれたのだという。でも、これをやるのはちゃんとめんきょせいで、ふつうの人はぜったいにやってはいけないそうだ。

とてもびっくりした。

でも、ほっとした。窓ガラスをわらないでもドアがあいたのだから。

じけんが終わったころは、もうくらくなりかけていたので、市内かんこうはあしたにして、もうホテルへかえりましょうということになった。

かえるとすぐにかんたんな夕食をすませた。
ホテルのふかふかベッドでねた。

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日本で言えば JAF がオーストリアの ÖAMTC という団体。
黄色い斜体に黒地のロゴの作業車を、アウトバーンでよく見かけた。

昔の車は、三角窓という小さな窓があった。