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教員を辞めて、今思うこと。

すれ違う幼稚園バスを見ながら「集団」という言葉がよぎった。

教員として過ごしてきた日々の中では、ほとんど
子どもたちを集団の中の個として見ていたのではないだろうか。

○ちゃんは、クラスの中でよく発表をする子。
●くんは、図工の得意な子。
○くんは、表現が苦手な子。

それは全部、学校の中の私のクラスという集団の中での個であって。
ある一面でしかない。

通知表なんてそれの最たるもので
学校の中の
私のクラスの中の
私というフィルターを通して見た
子の一側面を
数字という固いものに押し込んで
紙に写したようなもの。
そんなものを作るために私は毎年、何時間も何時間も時間を費やしてきた。

その子は家庭では違った面があるし、違う先生の前では違う面が現れることはよくあること。

学校というとことは、既存の評価尺度にその子がどのくらい当てはまるかということを見るだけであって、その子の持って生まれた光を焦点化するようなことはしない。
学校が与えた学習指導要領というものの範囲で、ある程度似通った光を持っている子がいたとしても。
あるいは、先生が発表会かなんかに力を入れていて、演技やお笑いの才能が開花したとしても。
それらを光らせるシステムや時間は、決められたルールに則って学習指導要領を満遍なく身につけることに重きを置く勢力によって、消されてしまう。

学校がどうあるべきか。
先生ができることは何か。
ずっと考えてきたけれども、公的な期間は柔軟性がない上に、存在感が大きかった。

私は、自分がやりたいことと違うことに、随分と時間をかけてきたなと思う。

そうしてやっと、自分がやりたいことを仕事にできるようになったのだと思うと、嬉しくてたまらない。

子どもたちを集団の中で見るのではなく、できる限りその枠を取っ払ってみる。
それも、一面ではなく
「好きなこと」を中心に据えてもっと多面的に。
子どもの好きなことマップを眺めるとき、私はそんな感覚を覚える。

私は今、私の仕事に誇りを持つことができた。

夢中教室
働かせていただいてありがとうございます。
パーパス最高です。


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