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〜大人も子どもも幸せでいよう〜

自分というものの輪郭を。

もっと際立たせてみようかと思った。

それはそれだけで結果が得られるように思う。

誰からどう思われようとも。

私は私で唯一無二の素晴らしい存在だと。

自分自身が心に据えたとき。

そして自分を表現しだしたとき。

誰かの役に立つことができる。

誰かを輝かせることができる。



明け方、降りてきた言葉は、そんな感じだった。

教員だったころは、自分のやっていることにあまり自信が持てないでいた。

子どもたちをとにかく静かにさせておくことや
行きたくない授業にいかせることが
いいことだとは思っていなかったので。

自分がいいと思っていないことを人にやらせることほどしんどいことはなかったし
それで、自信が持てるわけはなかった。

自分がいいと思うことをやり通せば
他の先生との隔たりを感じなければならない。

方向性が一致しない人と
同じ仕事をするというのはとても難しい。

今の学級担任の制度は、そういう意味では一役かっている。
誰に干渉されなくても、ある程度の仕事ができてしまう。

隔たりを感じるのが嫌で、教育観に関して、あまり込み入った話はしないというのが学校の中で平和に生きる術だった。



今は。

自分の教育観に、合わせて仕事が存在している。

子どもたちは、もっとやりたいことをやりたいようにして、生きていくべきだ。
大人は、それができるように支えてあげるべきだ。
できないことはできないといえばいい。
必要以上に叱ったり、罰を与えたり、大人の言う通りにだけさせるようなことではいけない。

自分の中のそういう大事な軸を
周りの人に合わせて曲げなくてもいい。

私は、私を生きている。
それが幸せ。

大人も子どもも。
幸せでいよう。








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