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カレンダーの存在意義

 僕はこの前彼女に、ひたすらにめんどくさい質問をした。

 「僕が今朝起きてから家を出るまで考えてやまなかったものを当ててくれ。ヒントは、年末によく売れるもので、一家に一つはあるもので、その機能は変わらないけれど、大まかに二種類ある。」

 そう、答えはカレンダーである。

 で、何を考えていたかというと、「カレンダーの存在意義」について考えていた。「カレンダーの存在意義」について考えるとはどういうことか。

 端的に言えば、カレンダーの中でも紙のカレンダーってなんであるの?という話である。この話はあくまで紙のカレンダーに限定した話であることを断っておきたいし、この話をしたからといって僕にカレンダーが不要だとかそういうことを言いたいのではない。

 

 現代において社会生活を営むなら必ず関わってくるのはカレンダーである。僕らはいつしか日付と月、年の感覚を知って、それがカレンダーとして紙に数表として表されているのを知った前提で生活している。

 あまりない話ではあるが、ある人が日付のわかるものがない状況で24時間以上寝てしまって、身体感覚の日付が一日以上ずれてしまったとしよう。11/21に寝始めた人は11/22日の朝に目覚めると思っていたのに11/23日に目覚めてしまった。恐ろしい話である。僕は一度これを高校生の時にやったことがある。

 目を覚ますと目の前に紙のカレンダーがあったとする。すると彼は11/23の朝を11/22の朝だと思い込むに違いない。カレンダーはその時の世界が西暦何年の何月何日なのか、その日付の順番と曜日や祝日といった情報は教えてくれるが、その日その時の日付は教えてくれないのである。しかもカレンダーは日付と年の区切り以外何も教えてはくれない。もし自動巻きの時計がカレンダーの代わりにあったなら日付がわからないまでも、流れる時間に人間の活動に適切な分量の目盛を振ってくれる。

 つまり、紙のカレンダー自体は単体では私たちに何の有益な情報も与えてはくれないのではないだろうか...。

 というのを彼女に中華料理店で力説したらやや呆れたような顔をしながら僕にカレンダーをくれるというのでちゃんと使おうと思った。

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