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テロール教授シリーズの感想、あるいは「代替案を持ち続ける」ことについて

テロール教授シリーズを読んだ

お世話になっている人が熱烈に推してるので全巻買って読みました。計4巻でさくっと読めます。

カルト・テロリスト集団を見るときの心構えや、のめり込んでいく人の心理、あるいはそこから脱するための気づきについて、ストーリー(というよりケーススタディ)を交えて解説しています。
これはよく出来た学習マンガです。
本筋は読んでいただくのが一番わかりやすいので読みましょう。ここでは僕が思ったことをつらつら書きます。

「騙される」とはなにか?

詐欺、カルト、マルチ、テロリスト。ちょっとした隙を突いて生活に忍び込んでくるこれらのものについて、「騙された」と思うことがあります。しかし、普段の生活でも、「クーポンの存在を知らなくて定価で買った」「特売日ならあと10円安く買えた」「小物を買ったがサイズが合わなくて置けない」などの「意思決定の失敗」は頻繁にあるはずです。
では、「失敗した」と「騙された」には何の違いがあるのでしょう?ただ意思決定に失敗したことを他人に責任転嫁しているだけなのでしょうか?

僕は好きだった人が新興宗教の熱烈な信者で、洗脳されかけたことがあります。(今は一切関わりを断ってますが)
人にその話をすると「騙されてたんだね」というリアクションが返ってきますが、僕は「失敗していた」と思います。だって僕はその人のことを「新興宗教の人」だと知った上でお近づきになろうとしてたのだから。

頭おかしいと思うでしょう?頭おかしくなってたんですよ。
僕の願いはなんでもお見通しなように見えて、なんでも叶えてくれるように感じてました。
その人のそばにいさえすればきっと幸せになれると信じてましたし、だからこそどんな教えでもついていこうと思ってしまってました。
なんだったら、「そんな教えにすがらざるを得ない環境から、僕なら救い出せるかもしれない」とか思い上がってた気もします。

今思うと、当時の僕は選択肢を削られ続けていたんだと思います。
軽率に欲求を満たすことで、思考をその人のことでいっぱいにさせる。
他の人と仲良くするのを嫌がることで、人間関係を狭くさせる。
他の情報について、真理ではない、あるいは真理の傍証であると主張し続けることで、批判させない。
このような形で、僕は「その人のそばにいて信仰することで救われる」というストーリーを信じ込み、選択肢のない状態へと導かれていました。

……まあ、当時の僕はその人が思っていた以上に頭バグっててさんざん迷惑かけたので、お互い様というかなんというか……

ともあれ、「選択肢を奪われる」と騙された感に繋がるので、選択肢を持ち続けるのが大事そうです。

選択肢を持ち続けるとはどういうことか?

では、選択肢とは一体どのようなもので、どのようにすれば保ち続けられるのでしょうか?
新興宗教ドハマリマンだった僕は、「愛着」の選択肢をその人しか持てない状態になっていました。「愛着を十分得るための代替案がない」と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。
この構造は

  • 稼ぐ方法が会社にいることしかないから会社にしがみつかないといけない

  • 友達が欲しいのに不良の子しか友達がいないから万引きせざるを得ない

  • 親は暴力振るってくるけど、他に頼れる人がいない(みんな親が追っ払ってしまう)から親のそばにいないといけない

などにも見受けられそうです。安心するためには〇〇が必要だ、〇〇を得るためには☓☓しないといけない、なんて思ったら要注意。

「別にこの人じゃなくてもいいや」「別にこの会社にいなくてもいいや」と思えるように、他の関わり合いを増やしたり、応用の効くスキルにしておくこと。そういうのが大事なのだろうなと思います。

代替案になり続けること

家族や恋人がなんかやばいことになっているとき、どうにかしたいと思うのが人情です。そういうときはどうしたらいいのでしょう。

騙してくる人間はだいたい「我々は真実を知っている、皆は騙されている」と設定してきます。なので、騙された人をただ論破しても「あの人も騙されてるんだ!我々が真実を伝えるんだ!」というモードに入ってしまうので、議論不可能と思ったほうがいいです。

そういう人には、関わり合いになりたくないと思うなら逃げるのが一番です。特に救い出そうなんて思っていると取り込まれます。

でもあえて関係性を続けるならば、「つかず離れず」を保ち続けることが大事そうだと思っています。

その人がハマっていることは一切咎めないけれど、勧誘されても断り続ける。贈与等で関係を縮めようとしてきたなら、なるべく早く送り返して近づかないようにする。でもたまに会って話をしたりはする。

そうやって、自分が安定した状態にあることで、相手が安心を得ることができれば、安心を得るための代替案になりえます。

ただ相手は大きな誘導に流されていこうとしている最中なので大変だと思います。そこまでする価値は本当にあるのかわからない。

だからこそ、普段の生活からなるべく安定しておくこと、ひいては安定のために自分が代替案を持ち続けることが大事なんだろうなと思いました。

代替案を失わないためにできること

代替性は、特別なものでなければないほど高くなります。

同じ型番のネジなら同じようにハマるはずだし、1万円札は日本にいる限りどれであろうと1万円として使えます。
逆に、「あの日友達と交換した人形」とかはいくら同じ人形を用意しても代替できません。

では、代替性を高めるにはどうすればよいか。それはなるべく欲しい物を抽象的にも具体的にも言語化していくことでしょう。

例えば、スプラ3がやりたいからswitchが欲しいとしましょう。もしこのとき「スプラ3が欲しい」以上の言語化をしなければ、switchを買う以外の選択肢はありません。
ですが、「FPSで対戦したい」のなら、スマホで荒野行動してもいいかもしれません。
友達と遊びたいなら他のゲームでもいいかもしれません。
友達が欲しいなら、そもそもスプラ3を買っても友達は付属しないので、友達を作りに行くというミッションに挑む必要がありますし、そのきっかけは今やってるゲームや趣味、アニメでいいかもしれません。
気になるあの娘がスプラガチ勢だったら「興味あるんだけど迷ってるんだよね」と言って、触らせてもらうために遊びに行く口実にしてもいいかもしれないし、その次の遊ぶ口実はスプラじゃなくてもいいかもしれません。
ナワバリバトルでしか得られない栄養があるならしょうがないですが、他のゲームでも意外と得られるかもしれません。

まあそんな感じに、表現をあれこれ弄ると、いくらでも代替案は出てきます。ただあんまり弄りすぎると「欲しいものを誤魔化している」ことに繋がり最悪心が死ぬので、心の声を聞きながら。

人間関係においてもそうなんじゃないかなと思います。
情報交換したいのか、とにかく話を聞いてほしいのか、スキンシップしたいのか、あるいはお金になればなんでもいいのか。

そういうのをはっきりさせておくと、案外「誰でも良い」場面は多かったりします。
あるいは誰でも良くないにせよ、相手の全部を求めなくても良くなったりします。
そうなると、相手も気軽に関われるので、結果的に執着していた頃よりも恵まれたりするのではないでしょうか。

急に手放すと不安になるので、一個ずつ一個ずつ、代替できるものを見つけられるとよいなと思います。

僕が今やってるオフ会も、ゆるく皆が代替可能な作りにしていければと思いました。

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