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~本当は、自分に正直に生きたかっただけなのに~


先日、私にとって「食べる=生きる」にたどり着いた流れで次々と蘇る過去の記憶から、自分の中で色々と忘れかけていた(蓋をしていた)感情を思い出しています。


中でもより鮮明なのが、私が小学3、4年の頃に仲の良い友達グループで、とあるドラマの話がネタにあがった時のこと。(当時はもっぱらキムタク系)

その時私、自分は見てないってことをどうしても言えず、必死に「見たフリ」をしてその場をなんとか取り繕っていました。(当時は両親と一緒に浮いた番組を見る気まずさに耐えられる自分では無かった)

そこで本当のこと(私は見てない)を言って場をシラケさせたり、みんなから除け者扱いされるのが単純に怖かったんです。

しかしそのことは一度や二度で終わる話ではなく、友達からドラマの話をフラれる度に、内心はいつ自分が「本当はなんにも分かってない」ことがバレるかもしれないことを常に気にしなければならず、正直、友達との会話はあまり楽しめずに毎回気が気ではなかったのも憶えています。


またその流れで次に思い出したのは、私が新卒時代に旅行会社の営業マンとして、当時は吐き気がするほど大嫌いだった学校という名の「優秀者の巣窟」に、右も左も「なんにも分かってない」私が修学旅行という大きな仕事を獲得すべく、これまた「なんとか」自分を取り繕いながら通う様子。

あたかも「私はなんでも分かってます」の態度を装い、内心は「誰もこっちに目を向けて(質問して)くれるな」とハラハラしながら、そんな己のギャップにどんどん耐えられなくなり、その結果、鬱病を患い退職となりました。


それらの出来事から共通して出てきた言葉は

「知らないって、言えない」でした。

それを言葉にした時、若干「まさか」ではありましたが、でも妙に、ほんの少しづつですが合点がいくこともあって。

「言ったら、終わり」
「誰にも、信じて貰えない」

そんなことを色々言葉にしていく中で、初めは「自分がなんにも分かってないということがバレる」ことに対しての「怖い」だと思っていたのですが、実は本当のことを言って「みんなが自分から離れて行くのが怖い」んだということも後々になって分かってきました。


それらが見えてきた頃には、自分の過去の人生、まさに「これ」―

―「本当はなんにも分かってないのに、誰よりも分かってるフリをしてきた自分」と、「本当のことを言ったら誰にも相手にして貰えなくなる自分」で悩んできたこと。


そして本当は、

「自分に正直に生きたかっただけなのに」


と、そう言葉にしていた私も見付かってしまったところで、次こそはもうこれを、ただただ実践していく他ないようです。

怖いですが……


✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ 


先日、20年以上勤務したパートを退職したばかりの母と買い物中に珍しいアイスを発見し、毎日食べている彼女にそれを伝えたところ、一言「仕事もしてないのに、毎日そうそう食べれない」と。


そこから「人と比べて価値のなさすぎる私は、人並みの生活を送れない」という言葉が出てきました。
 
どうやら私は、自分があまりにも身分が低過ぎることに対する思い込みがあるのを、すっかり忘れていました。

そしてついさっき、自分がその「どれだけ身分が低いか」ということを言葉にしていて、思わず「ふっ…」とひとり笑いをしてしまいました。

だってそれ

「人から、許される権利を与えてもらえないほどの(身分の)低さ」

だったからです。

色々とツッコミどころ満載ですが、次はこの、以前から根強くある「誰よりも身分が低い私」のこと、ちゃんと見ようと思います。







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