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感情を、感じ切る

師匠の、「誘導しながらの感情の感じ切り」を受けました。

ずっとやってみたかったこのメニュー、結局は本当の自分が出てくるのが怖くて、何だかんだ逃げ回り、師匠に「お願いします」と素直に言えなかった自分が、今の今までチャンスを眠らせてしまったのかもしれません。


初めのスタートは、その時私の感情が揺れていた出来事を元に自分の感覚(その時は『なんか、嫌』)を掘り下げるところからでしたが、これがまた本当に上手くいかない。

途中で気が付きましたが、自分の体感を言葉で「まともに」表現するということが、どうしたって怖くてしんどかったんです。

だからなるべくそれを感じなくていいように、視点で捉えた情報や既存の物に置き換えての状況説明にどうしてもなりがちで、「なんとなく」それを表現出来たらとっとと先に進みたくなるし、中々その場に留まっていられない。


途中、師匠から何度と指摘を受けながらも、自分の今ある体感(男性のゴツイ手で自分の内側をギュッと握りしめられてる、等)を言葉にしながら、何とかギリギリたどり着いた、「どうせ私には無理なんだから、諦めるしかない」という言葉。


それを自分に放った時の体感がこれまたなんとも胸が締め付けられるようで、色々とまた言い訳をしたくなっては何度も中断してしまいましたが、今日の師匠は「マジで、壁」。
その通り一歩も譲っては貰えずに、私の体感が変わるまでその苦しみ(諦めるしかない自分)を感じ続ける状況に陥りました。


「もう逃げられない」と半ば諦め、ひたすら「諦めるしかない自分」の悲しみと重苦しさを感じ続けながら、ふと「そもそも私『どうせ無理』とか言ってるけど、それ(無理だと思ってること)試したんだろうか?」というところに疑問が生じ、実はやる前から諦めてる自分がいたかもしれないことに気付きました。


更には、さっきまでぎゅうぎゅうに詰まっていた私の内側のどす黒いものが四角から三角に変わっていて、その下側に余白のスペースさえ出来ていたのです。


「さっきより…少し楽かも」


そう感じる頃には、さっきまで「どうせ無理」だった自分が、そもそもはなっから諦めてなどいなくむしろ「心底無理」とすら思ってない、ただただ傷付くのが怖いからといって、その先の「本当はやりたい」に何とか手を伸ばさないようにしている、そんな自分にたどり着きました。

確かここで師匠から「何をやりたいか」のようなことを問われた気がするのですが、このあたりの私はポケっとしていたようで、次にハッとした頃には「自分の気の向くまま、ヒラメキのままにやりたかった」という私が、今もこうして、ここに残っています。


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「なんだ、周りのせいにして、自分に諦めさせるような流れ作ってたんじゃん」という自分に気付いた時、無性に泣けてきたのは、やっぱり思い出す「あの時」の記憶を思い出したからでした。

私が小学校2、3年生の頃、親友だったMちゃんのお誕生日会で、主役のMちゃんを皆の前で盛大に泣かせてしまった時のこと…
私、Mちゃんのことが大好きで、彼女にスポットライトを浴びせたかった、その場を盛り上げたかった、いかにMちゃんが面白くて良い子なのかということをみんなに分かって貰いたかった、ただそれだけだったんです。


なのに、やり方を間違った私が結果Mちゃんをバカにするような発言をしてしまったことで招いた悲劇に私は、「二度と本当のことを言ってはいけない」という厄介な呪いを、この瞬間自分で自分にかけてしまったようです。


そうして今は、自分自身の人生を少しずつ振り返りながらも、私が今まで表面的にしか人と繋がりたくなかった確信に迫る一歩にとうとう足を踏み入れてしまった、そんな思いも新たに出てきました。


特に私が、「本当の思いを伝えたい」と強く思う相手ほど、「傷つきたくない」反応も大きいようで、そんな時に私自ら相手との関係をぶち壊してきたのかもしれないなあとも。


でも本当は、それだけ「自分の本当の思いを相手に伝えたかった」こと、そして、大好きな人に大好きと伝えたかった自分の思いを今はしっかりと受け止め、これからはその思いにひたすら忠実に生きて行こうと、改めて心に決めました。









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