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自分の限界を超える②


こちらの続きです。


なんか「ワクワク」はしてるのに、それに従ってみる前にいつも余計なことを考えてしまい、いちいち立ち止まって来た自分を振り返りながら、改めて痛感した事があります。


結局、色々と理由を付けて、今の自分に出来る(傷付かずに済む)範囲を勝手に制限して、そうやって「限界」という壁を作ってるのも、やっぱり自分なんだなって。


私の場合は、特に「失敗」に対する恐怖が強く、またそれに伴う「努力」を避ける(今の自分で楽に出来る事しか選ばない)傾向があります。


しかしそれとはまた別のところで、単純に自分が何か新しいことを試してみた先に、それが「自分の思い通り」にいかなかった時点で私にとってはその状態が既に「ダメ」だったし、そう私が定義付けた瞬間から、そこにあったであろう「可能性」も同時に失っていたこと、今まで全く気付きませんでした。(だから長続きしないとか、すぐ集中力が無くなるとか、やたら中途半端だけが目に付くこと、自分でも多かったです…)


そしてそれを繰り返すうちに、「あれもダメこれもダメ」と私の周りの選択肢は減っていき、それに伴って、私の気力もどんどん削がれてしまう始末。


今まで散々、「一度失敗したら取り返しがつかない」だの、「それ以上は出来ない、二度と願いは叶わない」だのと、色々と自分で自分を翻弄させて来ましたが、早い話、また傷付きたくない自分が、自分で自分の可能性を潰しまくってたって、オチです。




こうして、今の自分の「限界」を否応なしに感じ続けている今回をキッカケに、今後は日々日常の中で自分が反応した社会の出来事や情勢、また偉人の名言や歴史に名を残した名作、そして時にはカードなどの媒体を使ってみたりなど、もっとリーディングの幅を広げ、色々なジャンルに挑戦してみたいなあと。


そこでの内容はまた、随時こちらでアップしていきます。


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今日は日を置いて、先日亡くなったおばあちゃんの納骨式だったのですが、長年の時を経てやっと生まれ育った土地に帰って来れたこと、そして、先に待っていたおじいちゃんに再開できたことで、おばあちゃんの遺影からより充足感が感じられたのが、とても印象的でした。




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