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音楽への目覚め

わたしの、音楽への興味の発露は小学3年生の市内音楽祭の練習のときでした。

わたしが通ってた小学校は生徒数が少なかったので(現在廃校)市内音楽祭への参加は3年生から6年生までの強制参加でした。

そのころ全く音楽に関心がなかったわたしは、さりげなく気怠さを全身に表出させながらパート練習に参加してまして、わたしだけじゃなく、3年生の半数は(半数といっても生徒数が少ないので数名)燻んだオーラを身にまとっていました。

発表する曲は課題曲1曲、自由曲1曲の計2曲で(曲名忘れた、確か課題曲が「なんちゃらマーチ」自由曲が「お祭りなんちゃら」)わたしのパートはリコーダーとハーモニカでしたが、メロディーらしいものは一切ないリズムパートでした。

ドッソッドッソッ(うん)ソシレッ(うん)…みたいな、ミーミミミドッミ(うん)ドソドッ(うん)…みたいな、(ん)ラッ(ん)レッ(ん)ファ(もうええわっ!)
って感じで、これの何処ぞが音楽?っていう、同じ音階が続くくそつまらないワンパターンで、くそつまらない指と舌の単純作業でしかありませんでした(くそつまらないって2回言った😝)

タンギングが大事だそうで、前歯の裏側にくっ付けたり離したりする舌先のコントロールが肝なんだそうです(しらんがなっ!)

人一倍舌が大きくて、平たくベッタリと横に広がってるわたしの舌では舌先のコントロールが効かず、タンギングに関しては何度も注意を受けました(小6まで治ることはありませんでした😛)ってか、タンギングどころかわたしの場合、ふつうにお喋りしてても舌噛みます(今は更に酷く症状悪化に向かってます)

(こんなことに寿命費やすのはイヤや、はよ帰っておやつ食べたい)と思いながら数日間みっちり指と舌の作業(なんか卑猥)に勤しみました。

あーやだやだ😖と思いながらも上級生に鞭打たれながら仕方なく続けて、パート練習も出来上がってきたところで初めての全体練習、各パート揃って最初から最後まで通して演奏してみることになりました。

…と、雷に撃たれるとはこのことか?(と、たぶんそんなふうに思ったと思います。

全体での課題曲「なんちゃらマーチ」の演奏が終わった後で呆然としているわたしがいました(マジ…これ…か、かっけ〜💦、なに?これ…わたしたちって、天才?)って、たぶんそんなこと思ってたと思います。

きっと、事実としてはもちろんかっこいいものでもなく、むしろド下手で市民の皆さまの前ではとてもじゃないけどご披露できるものでは全然なかったと思いますが、そこにいたわたしの耳にはレコードから聞こえてくるその道のプロたちの演奏のように聞こえていて、頭の先から足の先まで貫かれ、「合奏」なるものが人体に及ぼす影響を身をもって体験しました。

全身の細胞が、グラスに注がれたビールの泡のように沸き立って(合奏ってスゲ〜!かんど〜!おもっしぇ〜!)と、頭の中は片言の日本語(東北バージョン)が繰り返されてました。

ドッソッドッソがこの荘厳な無形文化の一端を担っている重要パートだと気がついた瞬間で、タンギングは別として、その後のドッソッドッソに魂がこもったのは言うまでもありません。

その後、わたしは過疎化が進んだ僻地の小学校の中で「合奏」に関してはメキメキと頭角を表し、メロディーを任せられる重要パート、花形楽器へと昇格の道をたどっていくのでありました(もちろんタンギングは別として…)

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