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すまこの妄想(3)

身体は元気なのに、体内にコロナウィルスがまだいらっしゃるので軟禁状態が続いてました。

暇だったので「今年やりたい10のこと」の記事に書いた「自分を見つめ直す」をやってみました(お金もかからないし、体力も使わなそうだったので)

【 普段通りのポンコツ丸出しの素の自分のことを、精神的な性能がレベルアップした崇高な自分に見つめさせる 】という設定で過去を振り返ってみました。

ポンコツの方の自分は、持ち前のポンコツぶりを全面ブーストしながらも、その時々の状況に合わせた精一杯の選択をしてきたように思えました。

何かを語る努力、語らない努力、全力で行為したり全力で行為しなかったり、縮んだり伸びたり、他者に寄りかかったりしがみ付かれたり…etc。

崇高な自分はポンコツさんに「う〜ん、それいいね👍」「それしちゃあかんわ〜👎」と評価して反省を促してくるけど(そういう設定なので)ポンコツさんはポンコツさんなりにその時々の状況を自分のスペックを物差しにして割り出し、計算し、直感しながら行動してて、それらはおおむね妥当(そうにしかならなかったんじゃね?)と言えることが多かったように思えました。

仮に深く反省したあとで、もう一度過去に戻ってやり直したとしても、たぶん同じことの再現になるでしょう。

結果的な良し悪しは別として、ポンコツさんの懸命さには好感がもてました。

揚げ足ばっかとってる崇高さんはあんまり好きなタイプじゃない(おまえの設定やろっ!)

ふと…今の(おまえの設定やろっ!)でハッとしたのですが、設定された崇高さんは、ポンコツな自分が作り出した人なので結局のところポンコツの域から出ていないのだ!(◎_◎;)と気づきました。

それともう一つ、見つめられてるポンコツさんと、ポンコツさんを見つめて評価してる崇高さんのお二人を同時に見つめながら、いま記事を書いている3人目のポンコツさんを発見してしまいました。

あばば〜、ややこしや〜(スズ子さんかっ!)

いま記事を書いてる存在感アリアリの現物のポンコツさんに見つめられてることを知った崇高さん、しかも自分を産み出したのは、評価の対象だったポンコツさんであると悟って存在意義を見失った崇高さんが恥ずかしそうにしぼんでしまいました(かわいそう)

自分で作り出しておいたあげくに「好きなタイプじゃない」とか言ってしまい、なんかほんと申し訳ないことをしてしましたm(__)m(さようなら〜)

脳みそが筋肉痛を起こしたので、ミッションを中断して糖分を補給します。

せっかくここまで読んでくれた皆さまには、話しが有耶無耶なうちに中断してしまったという低レベルな記事に時間を取らせてしまいお詫びのしようもございません。

どうかヒラにご容赦をm(__)m
(いつものことだ〜!気にすんな〜!)





……ふと思いました(まだ続くのかっ!)

「本当の自分を探すぞー!」ってよく言うけど、それって自分で設定した意識高い系の架空の自分の決断なんじゃね?と思いました。

自分の認識の枠の中に作られた架空の自分が、作り主の認識を超えた枠の外に答えを探すっていうタテホコ。

偽りの自分が本当の自分の外側に本当の自分を探しに行って、たとえそれっぽいの見つけたとしてもそれが本当の自分だと判別できる認識を持っていない。

なんてのこれ?

パラドックス?

…ての?

目的に向かって近づいてるような錯覚から満足感は得られるでしょうけど、うまく噛み合ってない。



「自分らしく生きる」っていうのも同じ香りがします。

何者なのかを知らない自分に求める「らしさ」とはいったい…?

不確定な存在に対して、何をもってして相応しい生き方と言えるの?

「らしさ」を判断できる認識…持っていない(-。-;


以上の考察から、もしかしたら意識高い系の自分に主導権を明け渡してしまうたびに本当の自分から離れていってしまうのではないだろうか?と思えてしまいました。

しかし世の中は、政治、経済、法律、医療その他諸々ほとんどが意識高い系の営みから生み出されたものなので、意識高い系の思考をスパッと切り離すわけにはいかず、うまく生きていくためには意識高い系の思考に頼るところも大きいので、そりゃやっぱ自分を見失しないがちになってしまいます。

でも、社会に息苦しさを感じたり、自分自身に窮屈さを感じたら、ときには持ち前のポンコツぶりを遺憾なく発揮してFull10ブーストで社会に語り、行動するのもいいんじゃね?と思います(自己責任でお願いします)

肚から湧き出る思い、言葉、行動…それが本当の自分かどうかは分からないけど、それを実行に移したときに、それに対して怒って向かってくる人や嘲笑を向ける人は、所詮はどこかのポンコツさんに設定された自意識高い系の、ポンコツの枠から出てない偽者だと思います。

そんなつまんない方たちは、ほっといてもいずれ存在意義を見失って恥ずかしそうにしぽんでいくでしょう。


で…。


自分を見つめ直してみた結果、偽物の所在は明らかになりましたが、未だ不確定な「自分」という存在は見つめることができないという結論に至りました(やり方間違えてんじゃね?)

無理矢理定義付けするなら、「本当の自分とは偽物の不在」ということになるでしょうか?



と…こんな、やり損なった感バリバリのややこしい思想を時間をかけて書いてるわたしは間違いなく意識高い系の自分の奴隷になっている最中なのでせう。

ちょうど脳が低血糖を起こして失神する準備が整いました(チーン…)

脳みそポヨヨ〜ン…(あっ、林家木久扇師匠になって誤魔化した)

笑点やめないで続けてほしいです。

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