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この日光を浴びない生活になってからどのくらい経つだろう。
一月ほど前に住んでいた居住区は政府の管理区域になり、現在の地下にある居住区に移った。
湿気が酷い。コンクリートが剥き出しの壁は模様のようなカビが目立っている。

生活に必要なものの殆どは地下にあり、徒歩での移動が面倒だがそれ以外で不便を感じることはなかった。
今は昔と違って仕事は政府から与えられるもので、配給品の管理をリモート操作で行っていた。配給品といっても生活用品から食料まで様々だ。
今は食料の管理を行ってる。粉末の虫や野菜から作られたクラッカーやパン、放射能除去加工をしたアルファ米、上級国民の残飯を再利用した肉の味がするムースの缶詰、どれもご馳走とは言い難いものばかりだ。
資源が少ない今はコストのかからないものか再利用されたものが原材料だ。昔みたいに素材にこだわったものなんて皆無だ。
そんなクソみたいな食料の発注とかを画面の向こうの顔も見たことない誰かと通話しながらやってるわけだ。

ジメジメとしたこの生活でもいくらかのストレス解消ができた。
地下施設の中には、パチンコや平成時代のゲームがある国民遊技場、資源再利用で酒やフードを提供している国民食堂などがあったが、その中でも地下居住区の住民の出会いの場となっていた国民交友広場が好きでよく行ってた。
仲の良い知り合いがいるわけでもなかったから、大体1人でバーテンダーのいるカウンターでリサイクルウィスキーをロックで飲んでいた。つまみは再利用資源加工品のナッツもどき、これがスモークの風味が効いててイケるんだ。代用品や偽物ばかりの生活でも良いものもあるわけだ。
1人飲みをしているやつは珍しくはなかったが、積極的に人に絡まないやつは珍しかった。だから珍しがられてたまに話しかけられた。そんな絡みも嫌いじゃなかった。
今まで絡んできて話したやつは面白いやつが多かった。地上居住区の建設現場で働く20代の兄ちゃん、立入禁止区域の近くの放射能除去施設で働く看護師のおばちゃん、他にもたくさんいた。
だが、誰とも深くは関わらなかった。地下施設に暮らしているやつは入れ替わりが激しい。一期一会なところがあるんだ。
自分のことを詮索されない適度な距離感が丁度良かった。

昔から他人と少し距離をおいてきた。
皆自分を気遣って接してくれているのも子ども心で理解していた。他の子たちの輪に入れてくれようともした。
でも、馴染めなかった。大人たちの善意によって仲良くすることを強いられているような「なんか違う」を感じていた。
今の時代は子どもの数は2000年代ほど多くなく、僕らは昔の子どもたちよりずっと特別だった。
お菓子なんて特別なものはないけど配給品の中には幼児用の甘味固形物がありそれを柔らかくなるまでしゃぶっていた。豆と人工甘味料で作られたそれは石鹸よりも固く、昔食べられていた羊羹によく似ていると話を聞いたことがある。
僕らには親というものが物事ついたときからいなかった。だからか、政府から仕事を与えられて働くまで年が離れた人とはうまく関わることができなかった。必要なものはすべて配給で与えられていたが、誰かに触れる喜びとか少し無理をしたわがままを言ったりと人間的な何かは十分なほど与えられていないと気づいた。
昔の生活が書かれた小説や記事をアーカイブで見ることで、自分たちの人生が人工的に作られ用意されたもので色々なものとの距離感さえも管理されていると感じ、日光の入らないこの部屋の中でやり場のない感情がジメジメと残った。

考えるほど今の生活に疑問を感じ、それがどうしようもないことに絶望した。
自分だけがそう思っているのだろうか。国民交友広場に来ているやつらはどう思っているのか。日々を過ごし嗜好品で欲を満たすだけでよいのか。
それ以上考えたくなくなり寝床に突っ伏した。

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