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野球チーム『スマッシュブラザーズ』 創立した理由と誕生の秘話

スマッシュブラザーズのカズナリ監督です。
今日は私が野球チーム『スマッシュブラザーズ』を創立した理由と、その誕生秘話についてお話しします。


辻ファイターズへの入団

2011年の夏、高校野球を3年間プレーした浦和実業学園を卒業した私は、父親の地元の早朝野球チーム『辻ファイターズ』にほぼ強制的に入団させられました。当時はまだ現役を終えたばかりで、「もう少し休みたいな。」「まじかー。」と正直思っていました。しかし、実際に早朝野球に行くと、やはり野球は楽しいと感じました。その楽しさを再確認したことで、自然と辻ファイターズへの入団を決意しました。
その後すぐに、地元の同級生であり、大宮東で高校野球を3年間プレーしたシンゴとシンタ(現スマッシュブラザーズ選手)を、ほぼ強制的に辻ファイターズに入団させました(笑)。後に弟のユウタ(現スマッシュブラザーズ選手)が加わり、さらにユウタの知人であった白井さん(前スマッシュブラザーズ選手)も入団しました。毎週日曜日の早朝5時起床も、楽しみの一つとなっていました。

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(写真①:早朝野球チーム『辻ファイターズ』)

チーム設立のきっかけ

21歳の私はまだ若く、シンゴと一緒に「楽しい野球もいいけど、もっと上を目指せるんじゃないか?」という気持ちが芽生え始めていました。2014年、辻ファイターズでの3年目シーズンを終えた忘年会の帰り道、私はシンゴと国道17号の歩道を歩いていました。その時、少しお酒が入った状態でふと「監督になって強いチームを作ろう!」と急に思い立ち、その勢いでシンゴに「チームを作るぞ!もっと野球で上を目指そう。」と伝えました。シンゴは私の性格を理解していたので、「いいよ(笑)」と笑いながら返事をくれました。そして、彼から「名前は?蕨だから蕨連合?」と聞かれましたが、私は中学時代にシンゴとよくやっていたゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズ』にちなんで、「スマッシュブラザーズは?」と提案しました。するとシンゴも「いいじゃん!(笑)」と賛同し、この時に『スマッシュブラザーズ』が誕生しました。

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(写真②:初代スマブラ主将となったシンゴ)

初代メンバー集めとユニフォーム作り

スマブラ設立を決意した私は、自宅に帰ると、弟のユウタに「チームを作るからお前も入団ね!」と伝えました。渋々ながらも「わかったよ。ユニホームは?」と言われ、何も考えていなかった私は、「確かに…」と悩みました。そんな時、ユウタが「中学時代の同級生、坂本(現スマッシュブラザーズ主務)がゼビオで働いているよ!」と教えてくれたため、地元の後輩であり、桜丘で高校野球を3年間プレーした坂本の連絡先を手に入れました。その後、シンタと地元の同級生であり、川口青陵で高校野球を3年間プレーしたまっちゃん(現スマッシュブラザーズトレーナー)、同じく地元の同級生、県立川口で高校野球を3年間プレーしたおくかず(現スマッシュブラザーズ選手)にもチームを作る旨を伝え、彼らも入団が決定しました。(この時点で部員数は6名。)

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(写真③:チームを鼓舞する友人のおくかず)

坂本に「〇〇日、サイゼリアに来て!」と連絡すると、「まさかカズナリさんから連絡が来るとは思いませんでした…」と返答があり、地元のサイゼリアでシンゴ、坂本と会うことになりました。坂本に「チームを作って一緒に野球しよう!」と伝えると、彼は「何かそんな気がしていました!」と答え、ユニフォームの制作を引き受けてくれました。(チーム結成後、この3人でサイゼリアで食トレーニングをすることになるとは知らずに…)。

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(写真④:左からシンゴ、カズナリ、坂本)

チーム拡大の道のり

高校の野球部の同級生、植竹尚貴(現スマッシュブラザーズキャプテン)から「俺が入ってる草野球チーム、スパイダース(現在休部中)に来て!」と誘いがあったため、スパイダースの活動に、助っ人として参加することになりました。その時、同じく助っ人として参加していた130km超え左腕の井桁くん(現スマッシュブラザーズ選手)を見て、「こいつが入団したら熱いな…」と思い、春日部共栄で高校野球を3年間プレーした井桁くんの連絡先を入手しました。植竹にもスマブラ設立の話をすると、「こっち(スパイダース)があるけど、ユニフォームは作るよ!」と返答があり、近い未来、スマブラで一緒に野球することを約束しました。

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(写真⑤:スパイダースで喜び合うキャップ、カズナリ)

坂本がユニフォーム制作を順調に進め、記念すべきスマッシュブラザーズのユニフォームが完成しました!2015年当時、他のチームも今ほど派手なユニフォームがなかったため、みんなのモチベーションは一気に高まりました。

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(写真⑥:坂本が完成させたスマブラのユニフォーム)

井桁くんに完成したユニフォームの写真をLINEで見せると、「かっこいいっすね!(笑)」と大好評。熱烈なアタックの末に入団が決定しました!(この時点で部員数は8名。)

結成の最終章

2015年夏、あと1名が必要だと思いながら、自宅でスーパーカップのバニラ味を食べながら、埼玉県の高校野球、浦和学院 vs 南稜の試合をテレビで見ていました。そこには、私と同じ中学出身のアンダースロー投手、小野くんが南稜高校で投げていました。「俺と同じ中学じゃん!」と思いながら試合を見ていると、シンタから「俺の弟が高校野球を終えたから、スマブラに入ってくれるって!」と連絡があり、こーすけ(前スマブラ所属)が入団することになりました。これでいよいよ野球ができる!と思いつつ、「俺は監督だから、もう1人欲しいな…」と考え、部員探しを続けました。(この時点で部員数は野球ができる9名に!)

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(写真⑦:初代スマブラ副将となったシンタ)

大学の夏休みに、おくかずから「俺と坂本が入ってる朝野球チーム(幸和クラブ)に助っ人来てくれない?」と連絡があり、できたてホヤホヤのスマブラのユニフォームを着て、一度幸和クラブの活動に助っ人として参加することになりました。

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(写真⑧:22歳で監督となったカズナリ)

なんとそこで、先日テレビで見たアンダースロー投手の小野くん(タカマサ)とその弟(タイセイ)も助っ人で参加していました。「こんなチャンスない!」と思い、小野兄弟に「はじめまして、このユニフォームかっこいいだろ?チーム立ち上げるから、一緒に野球やろうよ!」と誘いました。すると、小野兄弟は「かっこいいですね!」と反応し、タカマサが「今後どのように進めるんですか?」と尋ねてきたので、「まずユニフォームを買おう!」と伝えると、2人は快く入団を決めてくれました。(この時点で部員数は11名!)

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(写真⑨:左からタカマサ、タイセイ)

2015年9月、部員が集まった『スマッシュブラザーズ』がここから始まりました。

野球チーム『スマッシュブラザーズ』の創立理由と誕生秘話②へ続く。

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(写真⑩:左からまっちゃん、カズナリ)


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