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2017年 東京ヤクルトスワローズ(6位)

現在パ・リーグはソフトバンクは独走中。一方パ・リーグ最下位に沈むのは埼玉西武ライオンズでこの記事を書いてる現在、12球団最速の50敗とかなり苦しんでいます。
2005年以降のプロ野球界で敗戦数ワーストなのが2005年楽天の97敗なのですが、ここは創設初年度ということもあって仕方ない部分もあるでしょう。しかしそれに肉薄した敗戦数に達したのが2017年のヤクルトでした。
45勝96敗2分、勝率は.319という酷すぎるシーズンを振り返りましょう。


目を覚ませ!

真中満監督就任以降のヤクルトは2015年にいきなり優勝するも2016年は5位で終了。山田哲人がトリプルスリーを達成しチーム打率もリーグ2位と打撃陣は良かったものの、慢性的な怪我人続出問題と投手陣が崩壊、チーム防御率は4.73とリーグ最下位でした。
そのためドラフトでは支配下指名6人中5人が投手という投手ドラフトに。高卒BIG4の寺島成輝(履正社高,1位)や九州四天王の一角・梅野雄吾(九産大九産高,3位)や即戦力で星知弥(明大,2位)、中尾輝(名古屋経済大,4位)と投手でバランス良く指名。
外国人ではD.ブキャナン、R.オーレンドルフを獲得。J.ルーキやP.ギルメットと契約延長をしています。
真中監督は今年のスローガンを「目を覚ませ!」と発表。選手のリアクションは薄かったらしいですが、真中監督は「それぞれが内に秘めた熱い鼓動」を感じとったらしいです(?)
しかし15年首位打者の川端慎吾がキャンプ中に椎間板ヘルニアを発症し、ほぼ今季絶望になるなど「ヤ戦病院」がちらつきます。

打撃陣

2017年 ヤクルト 打撃陣

一応言っておくと上のスタメンで打線が組まれたことはありません。
というのも後に言及しますが怪我人続出してベストスタメンが組みづらかったのです。
まず規定打席に乗ったのが坂口智隆、バレンティン、山田哲人、中村悠平しかおらず、バレンティンは32HRと低調な打線を支えましたが、前年トリプルスリーの山田は打率.247 24HR 78打点と前年とは別人のように苦しみました。
川端慎吾、畠山和洋は1年を棒に振るう怪我をしてほぼ出れず、雄平、大引啓次、中村悠平、バレンティンも月単位での離脱もあって打順が組みづらかったのです。
ベンチにもそこまで打力に優れない選手がいて、主力も怪我。まさに八方塞がりな状況でした。
当然この打線では得点力もなく、473得点はリーグ最下位。さらに狭い神宮なのにチームHR数95とこれも最下位。チームOPSも.644と本当に酷い有様でした。

投手陣

2017年 ヤクルト 投手陣

まず規定投球回に達したのが新外国人のブキャナンの時点でこの年の投手陣が苦しかったのが分かるでしょう。ブキャナンは25登板で6勝13敗でした。
石川雅規、原樹理はどちらも二桁敗戦を喫し、小川泰弘は8勝7敗も途中でクローザー転向したためそこまで投球回が伸びず。
ドラ2の星知弥は1年目からフル稼働しますが4勝7敗で終えています。
先発防御率は4.16とリーグ最下位でした。
救援では新外国人のR.オーレンドルフが炎上続きで2軍降格。一応当初大炎上したP.ギルメットは28登板で3.62で、J.ルーキは勝ちパターンとして22H・7Sと奮闘しましたが6敗しています。守護神起用の秋吉亮も途中で離脱しており(その代役が小川)、抑えも年間通じて固定できませんでした。
投手スタッツは軒並みリーグワーストを記録。貧打+投手崩壊では何も救いはありません。

球団史上最悪の「96敗」

開幕戦は勝利で飾るも4/5から5連敗。その前日の4/4に阪神・藤浪晋太郎のボールが畠山和洋の頭部付近に当たり乱闘騒ぎになる事件が起こりました(矢野燿大がバレンティンに飛び蹴りしたやつです)。その畠山も4/18に左ふくらはぎを痛め登録抹消。畠山はその後復帰することなくシーズンを終えました。
4月は10勝15敗、5月は10勝14敗、6/1にオリックスに敗れ最下位転落、9日には自力優勝が消滅していましたが、当時巨人も13連敗を記録。東京都を本拠地に置く2チームの極度の低迷は「都・リーグ」とネタにされました。
さらに7/1からは7/22に阪神戦で勝利するまで引き分け挟み14連敗と最下位をひた走ります。

2017年7月のヤクルトのスポナビでのカレンダー
✕が続き人気ホテル ヤクルトの蔑称が生まれた

さらにこの期間、雄平・秋吉亮が離脱。守護神不在となったチームは5月に戦線離脱し、リリーフ調整させていた小川を代役守護神として指名。
個人的にこの年のヤクルトを語る上で外せないと思う試合があってそれが「七夕の悲劇」です。神宮での首位広島戦、ヤクルト5点リードでマウンドには小川が立ちます。ヤクルトファンは勝利を確信していたでしょうが、そこに最強広島打線が立ちはだかります。先頭のバティスタ、そして菊池涼介にHRを打たれると、タイムリーで2点差にされ2アウト1・3塁で打席には新井貴浩。小川の投じた球は真ん中に入り、新井が振り抜くとバックスクリーンへの逆転3ランに。勝てるはずだった試合を落としてしまいました。
これにはヤクルトファンもクラブハウス前に集結し、「シャワーが長い」とヤジを浴びせたりしました。(←?)
真中監督は小川の守護神起用に監督生命を賭けていたそうですがこれの失敗が退任を決意するできごととなったそうです。
ASではファン投票、選手間投票では誰も選ばれず、監督投票で小川のみが選ばれました。

小川泰弘(左)と同乗するつば九郎(右)
オールスターとはいえ、リリーフカーにマスコットキャラクターが乗るのは珍しいと思うが、この行動をした理由をつば九郎がブログに書いてるのでご覧ください。↓

https://ameblo.jp/2896-blog/entry-12292973847.html

7月26日には中日に10点差をつけられながらその10点差を大逆転するサヨナラで勝利。しかし敗戦続きなのは変わらず8/22には真中監督の今季限りでの退任を表明。
8月終了時点で40勝78敗、首位広島とは32ゲーム差という断トツ最下位。もはや最下位は決定的でヤクルトファンの関心は球団最多敗戦記録の更新に集まっていました。ヤクルトの球団最多敗戦記録は1950年ヤクルトの前身、国鉄スワローズの94敗。残り23試合だったのであと7勝だけすればこの不名誉な記録から逃れられますがこの23試合を5勝18敗と大きく負け越し。最終的には96敗で球団最多敗戦記録を更新。シーズン96敗は暗黒横浜も超え、さらにシーズン敗戦数には2リーグ分裂以降のチームや創設初年度の楽天が並ぶと考えると、2017年のヤクルトは近代プロ野球の中で最も弱いチームとなってしまったのです。

プロ野球で94敗以上したチーム一覧。
見ればわかる通り、基本的には2リーグ分裂間もない黎明期のチームが並び
創設当初の楽天も入っている。
この年のヤクルトは暗黒横浜をも超えるペースで負け続けた。

なぜ96敗したのか

この年のヤクルトは怪我人が多すぎました。
上の写真は2017シーズン中のある時点での故障者一覧です。
これに加え、小川やバレンティンといったエース・クローザー・クリーンアップとチームの主力中の主力に怪我が相次ぎました。
そういった選手というのは代えが利かないものですから、どうしようもなかったとは思います。(ちなみに選手層が薄すぎてシーズン途中に3年前に引退し、ブルペン捕手だった新田玄気を現役復帰させている。)

あと首位の広島が強すぎたのはあるでしょう。
大抵、交流戦前に自力優勝が消滅するチームというのは首位のチームが凄いペースで勝ちを積み重ねてたりします。(今年のソフトバンクと西武がその関係にあたると思います。)

次の時代へ

真中監督が退任し、次の監督には小川淳司が再就任。
ドラフトでは清宮幸太郎を指名するもくじを外し、外れ1位で3球団競合の末、(後に三冠王を達成することになる)大砲・村上宗隆(九州学院高)を獲得。
また大下佑馬・塩見泰隆といった即戦力期待の社会人出身の選手を獲得しています。
さらにこの年メッツをFAとなった00年代後半のヤクルトのリードオフマン、青木宣親がヤクルトに復帰。12年からMLBに活躍の舞台を移した青木が7年ぶりに復帰ということでヤクルトファンは大いに盛り上がったことを覚えています。

小川淳司新監督(左)と村上宗隆(右)
今でこそ世代最高大砲だが、当時は清宮幸太郎・安田尚憲の影に隠れており、
実際清宮・安田と違って1巡目での指名はなかった。


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