「家を借りることができる」というのも当たり前ではない。

生活訓練のサービスに携わるようになり、利用者さんの将来の住まい探しに携わることが増えてきました。

わたしが以前経験した病院のケースワーカーも居所設定を支援することはありますが、幸か不幸か、わたしが在籍していた期間には、担当していた患者さんでは施設やグループホーム、簡易宿泊所などへ退院後の生活拠点を設定することが多く、実際に賃貸アパート契約の支援などをすることがありませんでした。(同僚のケースでは、お見かけしたことがあります)

しかしながら、担当させていただいた患者さんの中には、わたしが担当するに至るまでの生活過程の中でアパートなどを様々な要素で繰り返し手放す中で、家族と疎遠になってしまったり、経済的に困窮となってしまったり、負債などを返済できずに社会的信用を失ってしまったり、自殺未遂をして一命を取り留めたものの身体に後遺障害を負ってしまったりと賃貸契約を行う際に貸し手が懸念されるような条件を幾つも抱えている人がいました。

「障害がある」というのも残念ながら現行では一つのハードルとして立ちはだかることはあるものの、実際にそれが全ての要素ではなく、『家を借りることはこんなにも難しいことなのか…』と日本における実情を痛感する場面には出くわしていました。退院先が見つからず、自暴自棄になってしまう患者さんも見てきました。

居住支援法人や、セーフティー住宅といった住宅要確保配慮者(このネーミング、好きではないのですが)へ向けた仕組みも何年か前から存在はしています。わたし自身もまだ勉強不足で語れるレベルにはないのですが、ここ2年くらいこうした仕組みについて知るようになりました。
地域差もあると思われますが、わたしが活動地域の実情としては、まだまだ体感として活用できそうだと思える場面がなかったり、検索をしても条件に見合う物件がヒットしなかったりとまだまだ社会資源として整備途中といった感じを受けています。
しかしながら、こうした資源としての器がなければ何も始まりませんし、社会課題として実際にそこに参入しようとされている企業さんや人たちがいることが居てくれていることを知っているだけでも、現場で利用者さんの支援にあたるわたし共にとって大きな励みになります。

わたし達自身も、より利用者さんが生活を送れる能力や支援体制をできうる限り準備していることを不動産屋さんや大家さんに啓蒙していくことも微力ながらこの社会課題に対しての解決に繋がると信じています。

居住支援に関する研修などにも時々参加するようになり、不動産屋さんや大家さんが懸念していることやリスクに関しても十分に「それは、そうだよな」と共感することも多いからこそ、まさにソーシャルアクションを意識してわたしたちソーシャルワーカー一人一人も、担当している利用者さんのためにを前提としながら、その先にいる5年後、10年後、15年後先の未来の利用者さんのことも見据えて今いる利用者さんの支援に取り組むことは価値があることではないかと思っています。



前置きが長くなってしまったのですが、今回の記事ではさまざまな住居を構えることを妨げる要因から家を借りることが難しい方に、住居を提供する実践をメディアを通じて情報提供してもらいました。

特に2つ目の高齢者の居住支援の実践は、今の現場ですと少し馴染みの低いところでしたが、家族がいないというのは、わたしが担当させていただいてる方たちにもよくある状況です。核家族化が進行している中、個人的にも将来ぶち当たる(その頃には今よりも仕組みが改善されていると嬉しいですが)と思いますし、兄弟がいない一人っ子のような方にとっては将来不安があるのではないかと思います。
まだまだ、日本は家族や親戚による相互扶助を前提とするような文化の中で仕組みが成り立っていることを考える記事でした。

改めて、わたし自身は現在においては兄弟もいますし、両親も健在で、疎遠とまでは至っていない。大変だけれどやりがいのある仕事があって、体調を崩すこともあるが続けるだけの体と環境がある。5年後、10年後は分かりません。
ですが、今あることが当たり前ではないこと感謝したいと思いました。

ちなみに、わたしが関わっていた利用者さんで身寄りのいない方で、不動産屋でスムーズに居所を設定できた経験がまだありません。保証人がいなくても比較的審査を通過しやすい公営住宅や、まだ数は少ないのですが居住支援の事業を行ってくれている資源を活用して賃貸契約を結ばせてもらったりしています。
ですが、収入面の問題も多少あるとは言え、築年数の古い物件になりがちで、借りたい居室環境の条件をあまり選べる風ではないなとも感じています。

“住まいを得ることで立ち直る人が必ずいる”

 (坂本慎治代表)「僕のこと“貧困ビジネス”って言う人もいますけど、それはいいんです。僕が許せないのは、生活保護を受ける人たちを怠け者みたいな、そう言っていること。『同じ立場になった時に同じこと言えるの?』『自分が言われたとしたらどう思うの?』って、投げかけたいですね」

1つ目の紹介記事の中での、坂本慎治代表のお言葉

SNSによる誹謗中傷など、今ある社会課題にもこうしたメッセージはリンクするところを感じてます。自分が当たり前だと思っていることも、立ち位置が変わったらまるで今までの当たり前だったと思っていたことが虚像のように思えること、人生の中で誰しもが経験したことがあるはず。
頭ではわかっているけど、口が違うことを言っているということも経験があるはず。

わたし自身も改めて日常の自分の発信している言葉の中に、自分が経験しているにも関わらず矛盾した発信を時にしていることがあることを知っています。
大抵そういう時は自分自身に余裕がない時です。
余裕がなかったら言っていいわけではありませんが、こうして適宜自分に問いかけ続けることが大切だと思います。
今回坂本代表の言葉から、自分自身も点検する機会をもらいました。


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