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モンブラン

 母がモンブランを買ってきた。近所にある、昔ながらのケーキ屋さんの期間限定の商品らしい。
 「絞り口の形からこだわったみたいよ。緒方さんが言ってたの」
 緒方さんはケーキ屋さんの店主だ。大きな手が特徴的な女性。彼女の手から生まれるケーキはかわいらしい味がする。彼女が笑顔で絞り口について語ったことは容易に想像ができる。彼女はケーキがとにかく好きなのだ。
 「もちろん、クリームにもこだわってるって。美味しそうでしょ?」
母は自分が作りましたと言わんばかりの笑みを浮かべて言った。
「そうなんだ。食べたい!」
私は努めて無邪気に言った。親の前では子どもで居続けることが子の使命だと高校生ながらに思っていたから。
 母が縦ノリとでも表現できる足取りでキッチンに入っていった。私もそれに続く。
 母は緑茶を淹れはじめた。紅茶でないところが母らしい。私は戸棚から皿とフォークを二人分さらった。
  二人が席に着くまでは阿吽の呼吸とでも言えるかのように効率的な作業だった。いや、私が母に合わせていたのだと思う。母は私よりずっと無邪気なのだ。
 「いただきます」
二人の声が揃った。私は緒方さんの顔を思い出しながらケーキを一口よりやや小さめに切り分けて口に運んだ。
 なめらかで濃厚なクリームが舌に乗る。これは――
「ピーナッツ?」
「言ってなかったっけ?ピーナッツ味のモンブラン。美味しいね〜〜」
 母は落ちそうなほっぺを左手で支えながら二口目をフォークですくっている。
 パンに塗るピーナッツクリームとはまた違う、品のある香ばしさが鼻腔をくすぐった。甘さ控えめとは言えないが、嫌らしさのない自分の仕事がわかっているような甘さが溶けていく。丁寧に作られていることがよくわかる味だ。
 口の中からモンブランがなくなったところで、母のいれてくれたお茶をすすった。モンブランとは違った甘さと、それから苦味が舌をあたためた。小さなため息がもれた。
 「これ食べ終わったら勉強に戻るね」
さっきまで勉強していたかのように言った。本当は何も進んでいない。
「根詰めなくていいんだからね、リラックス」
母は微笑んだ。
 母は三口目、私は二口目のモンブランをほおばった。

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