利他と利己

「私は利己的な人間ですから」
「いやいやあなたは優しい人ですよ!利他的な人間です」

みたいなやり取りを見かけた

なんというか、その…
黒か白かじゃないというのもそうだけど、そんなことよりも 利他/利己 に対する認識が浅いなぁという感じ

利他と利己というのは僕はおそらく同一のものではないかと思っている
少なくとも境界線はないはず
利他は利己に内包されると考えるとわかりやすいかも
まさに「情けは人の為ならず」ということ

利己か利他か って、要は自己と他者の区別について論じているのだと思うけれど、それってそんなにはっきり区別できるものなんだろうか
人はどうあがいても、はっきりとした自己を持つ前から他者の影響を受けて育っている
自己がある程度形成されてからも絶えず影響を与え合っている
利害について考えてみてもそう
完全に自分一人だけで利害が完結している人なんて今の時代そういない

一言で言うと「情けは人の為ならず」でしかないんだけど、表面的な言葉だけが一人歩きして、ちゃんとその中身の妥当性について考えられていないんじゃないか
「人のために行動すると自分に返ってくるよ」程度の認識なんじゃないか

たぶん「情けは人の為ならず」ってそういうことじゃない
まず、自他の境界は融けており、自己と他者は溶け合っていると捉えるのが妥当だろう
そう考えるとそもそも「行動の目的が人のため"のみ"」というのがありえないことになる
もっと強い主張をすると「人のために行動するのは不可能」といえる
利他的であることは不可能なのかもしれない

つまり、すべての人間が利己的に行動していることになる
いわゆる"利他的"と"利己的"という言葉の違いは単に「情けは人の為ならず」を理解しているかどうかの差だと思う

これを理解した上で「別に人のためにやっているわけじゃない」「私は優しい人間じゃない」みたいな日本人的なひねくれた謙虚さを発揮した結果、「私は利己的な人間ですから」となったのだとしたら、まあわからんでもない
それを優しさとして定義してもいい気がするが

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