地上波テレビの衰退と起死回生の一手
①年末に冬季休暇中の暇潰しにと、ネットフリックスに加入した。観て驚いたのが、オリジナルのバラエティー番組の作りこみが、地上波に比べ段違いで高いこと。バラエティーだけでなく、ドラマも映画クオリティ。我が家の視聴行動は大きく変わり、今や地上波番組を観る時間は加入前の半分以下だ。地上波キー局がサッカーワールドカップ予選の放映権料を払えないことが騒がれ、その衰退著しいとの指摘にも納得した。
②地上波キー局は、スポンサー企業から宣伝料をもらって放送するビジネスモデル。よくよく考えると、このビジネスはネットフリックスのようにコンテンツを売っているのではなく、売り物は視聴者だ。つまりコンテンツは商売道具ではあっても商品ではない。言い換えると、地上波キー局のやってることは漁業に近いといえる。
③視聴者は魚、コンテンツは網、スポンサー企業は卸売業者、テレビ局は漁師・漁船、といった感じ。漁業ということは、漁業権のように漁場への新規参入者を徹底的に排除する仕組みが必要になる。調べると”放送利権”なるものが存在する様だ。通信で利用可能な電波周波数帯は限りがある。電波の周波数帯の割り当ては総務省の管轄。当然その背景には政治家も存在し、政官民の癒着が生じやすい。実際、テレビ局が国に支払う電波利用料は、携帯会社の11分の1でガッツリ利権化している。電波利用料が安いのにテレビ局が増えないのは、参入障壁を政治的に生み出しているからに他ならない。
④こうしてみると、ジャーナリズムの担い手として、テレビ局は致命的な欠陥を有することがわかる。この欠陥とは、大企業(事実上の顧客)と政府(利権の守護者)、どちらにも頭が上がらない構造を有していること。これでは巨悪に切り込めない。ジャーナリズムの担い手として欠陥を有するがゆえ、昨今騒がれている問題(ジャニーズとかセクシー田中さんとか)に自浄作用が働かなかったのだと考える。
⑤効率性とか合理性といったものは、それ自体が"正しさ"を表すものではなく、せいぜい"正しさ"の構成要素や条件になる程度。しかも善悪の意味において中立で文脈依存的なので、「効率的な窃盗」とか「合理的な詐欺」といった風にも使える。
⑥しかし、時間、そしてこれから派生するお金が関わってくると、効率性は"正しさ"とほとんど同義化する。著名な起業家や経営者、コンサルタントなんかの言説が、日本の慣習、政治、文化、地方を語るとき、当事者たちと議論が噛み合わないのは、文脈依存的にしか"正しさ"の要素になれないはずの効率性や合理性といったものを、"正しさ"そのものとして使っているから。
⑦テレビ局の社員も効率性や合理性を"正しさ"と同義なものとして扱っていたのだろう。魚を捕る大きな網はわざわざ自分でゼロからつくる必要はない。他から持って来た方がずっと効率的だ。ジャニーズタレントがドラマにやたら出演するのも、漫画原作のドラマが増えたのも、テレビ局の本質が漁師だから。ジャニーズタレントも漫画原作も魚(視聴者)が効率的に採れそうな網だ。昨今騒がれている問題が起こってしまったのは、一人の人間であるタレントを、原作者の思いが詰まった原作を、漁で使う網のように消耗品として効率的に扱ってしまったからだろう。
⑧厄介なのは、いまだに自分をジャーナリズムの担い手として相応しい存在だと、それっぽく振舞っていること。構造的欠陥を有する以上、相応しい訳がない。実態とのギャップを埋めるため、「放送倫理」なる言葉を掲げ、「BPO」なる組織を立ち上げて何とかそれっぽく立ち回っている。しかし、実態は性加害を黙認し、原作者との約束を反故にする。その一方で、選挙前に政治家にドッキリを仕掛けて、その人間性を国民に見せたりといった悪ふざけは、放送倫理を理由に絶対しない。たとえそれが国民の判断材料として価値あるものであっても。テレビ局にとって国民は所詮売り物に過ぎないのだ。
⑨生粋のテレビっ子としてテレビの再浮上を期待しているが、多言を弄しても変わりゃしないだろう。ならばなるべく変わらずに済む方向で、何か良い方法はないものだろうか。思案してみる。
⑩ネットワーク技術の発達などでコンテンツを大規模で高品質に配信することが可能になり、消費者の動画視聴環境に大きな変化が生じた。この変化によって利権で守られてたはずの漁場から魚(視聴者)がいなくなり、不漁(視聴率の低迷)が慢性化する。これは地上波という旧技術では視聴行動をロックできないことから生ずる現象。ネットフリックスはサブスク契約なので、ある程度視聴行動をロックできる。現に我が家は、しっかりロックされている。
⑪ならばネットフリックスのようにコンテンツを商品として販売する方向に舵を切ればテレビの衰退は防げるのではないか?。果たしてそれは可能か?考えてみた。
コンテンツを商品として販売するのなら視聴行動に基づいてコンテンツは以下の2つに分類できる
A.有料でも観るもの
B.有料なら観ないもの
このうちBについてはコンテンツを商品として売るビジネスでは利益化できない。ただこのBはさらに以下の2つに分類できる
C.無料なら観るもの
D.無料でも観ないもの
テレビは広告料収入という手法で視聴者と費用負担者を分離しBの一部を占めるCの部分を収益化した。YouTubeなんかはこれを進化させ、Dをさらに
E.「短時間なら」とか「あるジャンルなら」などニッチな領域なら観るもの
F.とにかく観ないもの
に分けその上、制作費は投稿者負担という手法を編み出す。テレビ局がこの領域で戦うことなどできない。なのでAかCの領域で戦う他ない。1日24時間分の放送枠を埋めるとしたら、Aのクオリティを大量に制作するのは無理なので、Cのクオリティの番組ばかりを大量に作ることになる。コンテンツを直接売る方向に舵を切ろうにも、Aクオリティのノウハウを積み上げていないので勝ち目がない。しかも内向きなコンテンツばかり作ってきたせいで世界展開も困難だ。
⑫テレビの衰退を止める方法として、ネットフリックスに追随する方向をあれこれ検討するのはダメだろう。「勝てない」、「向いてない」、「自己変革多め」、の三重苦になってしまう。それでもなお起死回生の一手を捻り出すなら、自動運転の時代に訪れるであろう車内生活者をターゲットにするのはどうか。以前書いた記事で、自動運転車が普及すると自動車に自動運転のソフトウェアをインストールする時代が来ると予想した。そして自動運転が普及すると、運転から解放されることから、車内は快適な生活空間になるとも予想する。そこで「自動運転のソフトウェア使用料をタダにする変わりに、車内で視聴できるコンテンツをこのソフトウェアを売ったテレビ局の番組に限定する」というビジネスならどうか。こうすれば視聴行動をロックできる。何より、「勝てる(放送利権が生かせる)」、「向いてる(内向きコンテンツOK)」、「自己変革少な目(複雑なしがらみ継続可)」だ。ただ、この方向性で行くのなら「清廉潔白、品行方正なジャーナリズムの体現者」であることを放棄しなければならない。なぜなら、車内が個人空間である以上、あるジャンル(品性下劣)のコンテンツの供給はビジネス上不可避だから。
⑬自動運転が実現した遠い未来を待つのではなく、今すぐどうにかするとなるとプロバイダ料金とかを対象にタダにすることになる。これはこれで難しそうだ。今回は生粋のテレビっ子として、テレビの衰退を少し憂いてみた。
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