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押し潰されそうな程の圧迫感

「世の中には様々な情報が溢れている」

それが目に見えてわかる場所が東京なんだと感じました。

また、「多すぎる情報は人の余裕を侵食している」

そうも感じました。




関東に引っ越しました。

#移住という人気タグを見て 、「そういえば引っ越ししたことについて書いていないな」と、思い当たり便乗させてもらうことにしました。

正直、「移住」という言葉のイメージとしては、国外や大きく環境の違う土地に過ごすイメージなため、九州から関東への移動に対して使うのにしっくりこない人もいると思います。(私がそうです)

しかし、「あっ、こいつ人気に便乗しているなー」と思いながら、温かく見守ってくれると幸いです。


さて、自宅から東京都内が比較的近くなったため、越してから何度か出向いていますが、まず思ったことは

「情報量の多さ」です。

人が多い、建物が多い、お店が多いと前情報から分かっていましたが、いざ実際に体験すると目が回りそうなほど周囲を見渡してしまい、情報の多さに押しつぶされてしまいそうでした。

特に私にとっては、「人の多さ」が圧迫される大きな原因となっています。

さまざまな格好をした人や地方では見かけることのない国の人、小説でしかみたことのないような学生

どれも人間観察が好きな私にとっては、インパクトの強いものばかりでした。


この情報にあふれる街を見たときに、全てを理解することを諦めなければいけないなとつくづく実感しました。

東京の人はこの情報過多の社会から、自分のコミュニティに必要なものだけ選択していらないものを無視する力を自然に手に入れているのだと思います。

それが東京での生き方だと感じたときに、少しの寂しさを感じましたが、現実問題に向き合わなきゃいけないとも思いました。


関東に超す前は、田舎民として「東京の人は冷たい」「情がなくなっている」と勝手に思い込み、身構えていましたが、実際に住んでみて僕はそうは思いませんでした。

しっかりとみなさん自分のコミュニティを形成して、仲良く付き合っている人がほとんどだなと、実際に話をしてみて思いました。

ただ、少しだけ他人に意識を向ける余裕がないようにみえたのが、田舎民から見て冷たいと思われる原因かなと感じます。

みんなこの情報過多の世の中で、自分のコミュニティを守るために、自分が押しつぶされないように必死に生きています。

そんな生活を送っていたのでは、簡単によそ者を受け入れるだけの余裕がないのでしょう。


関東に来てから、特に生活が変わることもなく毎日のほほんと暮らしているため、特に気を付けたり目標を持ったりはしていませんが、

情報社会に押しつぶされずに、他人の居場所を作れる余裕だけは持っておきたいそう思いました。

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