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女が享受する得、それに伴うリスクと呪い

1.はじめに

いま現代ビジネスというwebサイトでアクセス数一位、twiitterのトレンド欄にも表示されてる『ゲイが「女性のフリ」して出会い系をやったら「地獄」だった』という記事が、女の自分に知らぬ間にかかっていた呪いを解くチャンスをくれたかもしれないので、noteに書きながら自分の感情を整理したいと思う。まだ読んでいない方は是非こちらのリンクから読んでみてほしい。

内容は、自分で自分の事をゲイだと思っている男の人が、「女は得で楽でいいな」と思い出会い系サイトで女のふりをしてやり取りをした結果、「女の得はそのまま女のリスクである」ということに気づいた、という話。(それだけではないんだけど。結論はそこから発展させて違うことが書いてある。)わたしは要約が下手なので、記事を直接読んでいただいた方が早いと思います。(翻訳もそうだが、誰かを通じて解釈を挟んでしまったものは基本信じたくない。知らない言語の映画を見たくないという話も今度書こうと思う)

読書感想文でも「本の内容のまとめにしないで、感想の部分を多くしなさい」と小学校の時先生から教わったので、とりあえず自分がこの記事を読んで感じたことについて書きたい。
(でもこういう女性が~、男性が~ということを大学で深く勉強したわけでもなければ、記事をこの広大な海であるインターネットに投稿したこともないので、不快になる人がいたらごめんなさい。批判のコメントも待ってます。)

ただ一つの感想は、「あ、わたし女性が受ける得の方は認識してたけど、もしかしたらリスクの方は認識してなかったかもな」ということである。


2.わたしが感じていた、女性が受ける得

長い間、女性は得な部分が多いよな、と思ってこれまで生きてきた。この記事でも言われているようなことだけど、大抵ニコニコしながら生きてれば何とかなることが多いな~と感じてた。女性であるだけで、男性は一定の癒しを得るし、可愛い恰好をしていけば、可愛いメイクをして笑顔でいれば、ある程度優しくしてくれる。そのようなニコニコキャラでいることで、ミスをした時も許されることが多いし、どこかで何かしら得をすることが多いと感じてる。

学部生時代にバンドをやっていたけど、その時はガールズバンドで、それだけでとりあえず注目をされることも多かった。もちろん「誰々が可愛い」とかいう目で見られることも多かったけど、とりあえずそれだけで何となく少し甘い目で見てもらえるとかそういうことも多かったような気がする。

(注釈:ちなみにここでは女であることの得を書きながらも、食事代を男性におごってもらったり、ホテル代を割り勘にしない女性のことをわたしは軽蔑している所がある。わたしは恋人と付き合っている時もほとんど割り勘にするし、「女であるけど舐められたくない!」という思想を持つので、この辺の整理もついておらずややこしい人間だ。)


3.自分が得を受けながらも、かけていた呪い

でも結局、前節のような得を受けていることを自覚するとともに、わたしは知らぬ間にわたし自身に呪いをかけていたように思う。例えば、「美しくないといけない」「可愛く化粧していないといけない」「そのようにしていないと自分には価値がない」とか。

あとちょっと馬鹿な振りもわざわざしているところがある。日常生活で「あれ~~~こうやと思った~~賢いなあみんな~~」ということで、自分は馬鹿ですアピールをして周りを持ち上げるということをしてた。普段からおっちょこちょいなところはあるが、ミスした後にそれを強調するような馬鹿なコメントをしている自分を自覚していて、たまにそんな自分を気持ち悪いと思う時がある。

まあこういう馬鹿な振りもそうだけど、自分で一番気づいてなかったのは、「男性の前で賢い自分を抑え込んでる自分」だった。例えば、まだ恋人になっていない男性に対して小難しい話を「してしまった」とき、「うわ~~ごめんまたこんな真面目な話をしてしまった!可愛げないよね!ごめん!」とへらへら笑う自分がいる。無意識に、「男性の前では賢くあるべきではない」と思っているし、「賢い男性の話をおとなしく聞くべき」だと思っている気がした。わからないけど。

(注釈:というか、こういう「下心を理解していると思いつつ行動している」っていうこと自体がとっても気持ち悪いよね。このアカウントは自分が生きてくなかで思ったことを、人の目を気にせず書くということを目的にやっているので、こういうことも書けてしまいますが、自分のオープンアカウントではこんなことは書けない。「お前らの利己的な気持ち理解して、その上で行動してます。」なんて、虫唾が走るという気持ちはまさにこの感情だ、って感じだ。最悪な人間ですみません。でもありのままの姿はこんな感じです。人間です。)


3.男性にもこういうことはあるように思える

こういうことって、もしかしたら性別を超えて、人間関係を円滑にしていくためにみんな(男も女も)がやってることなのかもしれないけど、なんとなく、なんとなく、男性からより女性から共感がもらえるんじゃないかと思う。(女性陣、どうですか?)

といいつつも、男性も男性で女性の下心を理解していて(例えば、「強い人の方がこいい」「背が高い人の方がかっこよく見える」「しっかりしていて欲しい」「頼りのある男性がいい」「賢い方がいい」「お金を持っていて欲しい」とか、そういうこと)、それに応えようと振舞っているところがあると思う。

個人的には女性だけの権利を主張することが苦手、そういう人を見るのも苦手なので、男性にも同じことがあり得るんだろうなと思いたいし、そうなんだと思う。このような深いことを話す男友達も数えるほどしかいないけど。


4.呪いを自覚したうえで、みんな健やかに生きていってほしい

なんかこの辺は人の思想によると思うと思うけど、わたしはどこか「社会が変わる事」には期待をしていないというところがあると思う。社会の仕組みって、人間の生物的な本能でできているところがあって、そこを理性で押さえつける事って不可能だと思うのだ。(でも社会の中でactivistたちが運動を起こしていることで少しずつ変わっている世の中の+を享受しているところがあるので、すべてを無下にするのは違うとは思うんだけど。この辺まだ生きてる中で整理がついてないとこだ。)

だから社会の大きな仕組みを変えるとかよりも、自分の周りを整理していきたい。こんな社会的な役割とか忘れられるくらいに、お互いを理解し合っている恋人(パートナー)や友達に巡り合いたいし、どんどん彼らと仲を深めていきたいと思う。わたしは男性に恋をする人間なので、自分の将来のパートナーは男性になる予定なんだけど、その男性にも「男性としての役割」を出来るだけ背負わせないで、その人のありのままでいてほしいと思う。そうやって伝えようと思う。

この記事のおかげで自分がかかっている/自分が自分に無意識にかけている呪いに気づけたので、これからこのことを意識して過ごせそう。自分が女性であることを理由に頑張りすぎてるときに、「あ、自分そこまで頑張りすぎないんでいいんじゃない?それ女であることに潰されそうになってるかもしれんで」って自分の事、救ってあげられる気がする。

ある程度、社会の仕組みである職場や浅い友人関係の中で傷つくのはしょうがないと感じてしまうな。でも、その社会的な呪いを自覚しているのと、自覚していないのでは、生き方がだいぶ変わってくる。その呪いが社会的なもので、なかなか簡単に解けないものだとしても。

富岡すばるさん、ありがとうございます。

とりあえず22歳時点での自分の記録としてこの日記を残しておく。また成長していろんな経験をすると、このような自分も傲慢であると感じられる日が来るんだろうし、また考えがいろいろ変容していくんだろうな。


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