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4週目。小松菜のわくわく

したがって、クックパッドにおける動物的消費が常に「動物」的であるとは言い切れない。それは理性的な人間による認識の基底をなすカテゴリー自体の再編を駆動するものとなりうるからだ。

この一文だけ読んでも、はたと意味がわからない。ましてやこの本のタイトルに含まれている「家庭料理」とは、距離が遠すぎるようにも感じる。

最近は、三浦哲哉さんの「自炊者になるための26週」を読みながら自炊者になるべく料理をしているわけだが、並行して「「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?」という久保明教さんの本を読んでいた。冒頭の一文はその本の中で気になった一節。

本書は日本の家庭料理を「モダン/ポストモダン/ノンモダン」という区分を年代にあてはめることによって、考察をしていくのだが(と自分は理解した)なるほど面白く、一気に読んでしまった。

冒頭の一文だけを読むと理解が難しくとも、本文を読み進めてから出会うとなるほどと思える。このなるほどというのが自分にとってはとても楽しく興奮するものである。ではいったい、なるほどとはなんなのだろうか。

そんなことを考えながら、今週はおひたしを作る。せっかくなのでいつも行くスーパーではなく、八百屋さんで出会った小松菜のおひたし。

自炊者の本では大きさにもよるが茹で時間は30秒ほどとあるが、30秒経っても、見るからに時間が足りていない。というか明らかに小松菜の量が多い。お味噌汁の豆腐もそうだが、まだ自分の分量に対する解像度がとても低いんだな〜ということに気がつく。

できあがった小松菜のおひたしは、最初少し苦すぎるかなと思ったが、だし汁に浸してみると、ほどよく甘さが感じられるぐらいに仕上がった。これは美味しい。小鉢に入れてみると、なんだかちゃんとした料理が作れたような気持ちになる。
当たり前だけど、料理は作って食べれるのがいい。美味しい。
一回作っただけだけど、本に書かれている個体差を感じる。なるほどこれがゆらぎか。

自分にとってなるほど、というのは、星座を見つけるのに近いかもしれない。全然違うと思っていた概念と概念が、頭の中で繋がって、違った絵が見えるような。
そのためには補助線が必要で、その補助線によって、自分にとっては全然繋がってなかった「家庭料理」と「ポストモダニズム的懐疑」がなんとなくでも繋がったので、なるほどというわくわくが味わえたのかもしれない。

小松菜のおひたしは、一日経っても美味しい。だし汁によって味わいがまろやかになっている。出汁は奥が深い。味わいの科学について、よい補助線がひけると、もっとわくわくできそうな予感がする。

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