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人生は 「逆に良かった」 であふれてる

 僕は、今までの人生で「逆に良かった」と思える場面が3つある。

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 人生は「シーン」ではなく「ストーリー」で捉えるといいと、誰かが言っていた。

 ワンシーンで区切ってしまうと、どうしても嫌な出来事は「失敗」と思われがちだ。でもワンシーンで切り取るのではなく、その続きがある全体のストーリーとして捉えたらどうだろう。

「あぁ、このハッピーエンドに持っていくための伏線だったのか。」
「そうかそうか、あの失敗が逆に良かったんだ。」

 2時間弱の映画なら誰でもストーリーとして観ていられるのに、人生ではなかなか難しい。「木を見て森を見ず」ならぬ「シーンを見てストーリーを見ず」になりがちだ。

ここまで読んだ方の反応は二手に分かれるだろう。

「そうか、どんな失敗も今の人生に必要だったんだ」
というポジティブ派と、
「それ、自分に都合よく考えてない?」
というネガティブ派。

 ネガティブ派の意見、しみじみ分かる。なんでも自分に都合よく考えられればこんなに人生苦労しない。

 でも過去にあった苦い経験や辛かった体験の「事実」は変えられないけど、「事実に対する解釈」はいつでも変えられる。

 「それ、どう考えても失敗でしょう」と人に思われたとしても、いやいや、自分の人生なんだし、都合よく解釈を変えてもいいじゃないか。そう思うようになった。

 そこで、シーンで捉えたら明らかに「失敗」だけど、ストーリーで捉えたら「逆に良かった」と思える場面を探してみたら3つあったので、淡々と紹介する。

その1:大学受験に大ゴケしたの巻

 大学受験、大ゴケした。どこまで落ちていくんだ、というほどに落ちた。思えば中学高校とエスカレーター式でのんびりほやほや温室育ちだった僕は、受験を甘く見すぎていた。

 一般入試ですべての大学に落ちたとき、自分を信じていてくれた両親に申し訳なさすぎて、泣きながら頭を下げた。まともに顔が見れなかった。卒業式が終わっても、世間が春を迎えても、部屋に閉じこもってふさぎ込んでいた。その年、僕の目に映る桜に色はついていなかった。

 どう考えても失敗だった。かといって浪人するガッツと気力はとうに失せていて、当時センター試験で一個だけひっかかった大学に通うことにした。

 結果的にその大学でもいい学びといい出会いはたくさんあったけれど、「もっといろんなことを学びたい、もっといろんな人と出会って見聞を広めたい」とハングリーに思えたのは、きっと大学受験に失敗した悔しさがあったからだ。

 その結果、大学内での活動にとどまらず、外部で活動している学生団体を必死に見つけて入ったり、ベトナムに短期留学に行ったり、とにかくいろんな経験を積みたくて東奔西走した。

 いまでも繋がりがあったり刺激を受けたりするのは、この時出会った仲間たちだ。第一志望の大学に希望通り入っていたら、またしてものんびりだらだら過ごしていただけだったかもしれない。

大学受験に大ゴケしたからこそ、アグレッシブに動けていい経験ができた。あの失敗が、「逆に良かった」のだ。

その2:世界一周旅行中に骨折したの巻

 大学を卒業した後、「世界中を自由に旅したい」という昔からの夢を実現させた。思えば、第一志望の大学に入っていたなら、夢を捨てて真面目にどこかに新卒で入社していたかもしれない。

 世界一周旅行は、思うようにいかないこともたくさんあったけど、どこにいくか、なにを食べるか、誰と出会ってどこの宿で寝るのか、全てを自分で決められる自由さを心の底から楽しんでいた。24時間365日、自分の時間を思い通りに使える開放感。最高の経験だった。

 それでも旅の途中、自分の不注意で大怪我をしてしまった。ここでは詳しくは書かないけど、ネパールでアゴの骨を粉砕骨折した。事故当時は、死んだかと思った。緊急帰国して病院で天井を眺めている時に、人生に対する失望感がじわじわと沸いてきて、涙が止まらなかった。

 意気揚々と旅に出たはいいものの、満足に世界一周もできないまま終わってしまった。アゴの治療が完治するのは半年。この間に同期の友人は新卒一年目として立派に働いているのを想像すると、またまた泣けてきた。

 どう考えても失敗だった。このまま世界一周をあきらめて、どこかに就職してしまおうかと考えた。もう夢は夢のままで、なかったことにしてしまおう、忘れてしまおうと思った。

 それでもやっぱり、あきらめられなかった。志半ば、こんな中途半端な夢の終わりは嫌だ。もう一度行くぞ。そうして僕は、旅の続きをはじめた。アゴの完治を待っていられなかった。緊急帰国から4ヶ月後、2回目の世界一周に出た。

 世界一周が途中で終わった僕の心の中は「なんでもいいから何か一つ、成し遂げてみたい。どんなに小さくてもいいから成功体験がほしい」と強く思っていた。

 そんな旅の最中に出会ったのが巡礼だった。それはフランスの南部からピレネー山脈を超えて、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラという聖地まで距離にして800km歩いていくというとても過酷なものだ。

 もし1回目の世界一周が順調だったら、きっと巡礼には挑戦していなかった。途中で終わってしまったからこそ、次の新しい挑戦がしたいと心の底から思えたのだ。巡礼は無事に終わり、28日かけて800km歩ききった。あのときの達成感は死ぬまで忘れられない。本当にやってよかったと心から思える数少ない出来事のひとつだ。

世界一周中に骨折して、夢を一回断念したからこそ、新たなチャレンジに踏み切れた。その結果、一生忘れられない体験ができた。あの失敗が、「逆に良かった」のだ。

その3:初の社会人経験で徹底的にハードワークしたの巻

 2度目の世界一周旅行から帰国後、同時期に地元にオープンしたワインバーで働いた。学生の頃アルバイトをしていたバーの店長が独立してつくったお店で、4年間働いた。

 2年目から店長になり、3年目にはソムリエの資格をとった。お客さんを笑顔にする仕事は楽しかったし、やりがいも充実感もとてもあった。売上も右肩上がりで、好調だった。

 でもとにかく働きづめで、休みがなかった。オーナーとの折り合いもどんどん悪くなって、世間ではよくネタにされているハラハラ的な制裁も一通り受けた。やりがいはあるのに、常連のお客さんは大好きなのに、疲弊する心と身体。こりゃ一体どうなっているんだと思った矢先、ストレス性の病気で倒れた。

 あーこれは失敗だったのかな。普通にホワイトカラーの仕事で働いていればよかったのかな、と何度も思った。これはまたリセットが必要だと思って、退職した後半年間、また自由に世界中を旅した。なんとまぁ、のんきなものである。

 でも下手にふさぎ込んで引きこもったりせずに世界に出ようと思えたのは、旅には気持ちをリセットさせる力があり、もう一度歩き出すきっかけをくれる力があることを知っていたからだ。

 3回目の世界一周は、また違った景色を味わえた。お酒の専門知識もあるし、前回の旅に比べれば資金も潤沢にある。素晴らしい体験と出会いの連続で、徐々に元気を取り戻した。

 やっぱり旅に救われた。そして通算40カ国目のメキシコで、一人の女性と宿のロビーで偶然出会った。現在の妻である。

 失敗だったのかもしれない。でも、あの時の辛い経験があったから、今のところ、なんとかうまく対処できている。良くも悪くも、「あの頃に比べたら全然余裕だ」と、何に対しても思えるようになってしまった。絶望するほどのかつてのハードワークは、皮肉にも自分を守る最強のお守りに変わった。

 社会人としての基礎を徹底的に叩き込んでくれ、一人の人間として一生懸命厳しく接してくれたオーナーと見守ってくれたスタッフには、本当に感謝している。

徹底的にがむしゃらに仕事をやった時期があったからこそ、今はバランスを見て仕事ができている。あのタイミングで退職したからこそ、メキシコで妻に出会えたとも言える。あの失敗が、「逆に良かった」のだ。

まとめ:人生は「逆に良かった」であふれてる

端的にまとめると「逆に良かった」と思える3つの場面は以下になる。

■その1:大学受験に大ゴケしたの巻
→ハングリー&アクティブになってかけがえのない時間を過ごせた

■その2:世界一周旅行中に骨折したの巻
→もう一度立ち上がって巡礼に挑戦したことによって一生の思い出ができた

■その3:初の社会人経験で徹底的にハードワークしたの巻
→社会人としての基礎が形成され、もう一度旅に出るきっかけにもなって、現在の妻とも出会えた

 失敗が「逆に良かった」と思えるようになるためには、ある程度の時間が必要だ。カウンターのような即効性はないけれどボディーブローのように、後からじわじわと効いてくる。

とまぁ......客観的に見ても自分に都合の良い解釈ばかりだけど、それでも
・人生に起こる出来事は結局、解釈次第
・「シーン」ではなく「ストーリー」で捉える
・「逆に良かった」と言えばなんとか気持ちよく人生を終えられそう


そんなことを考えながらnoteを書いていたら


人生は「逆に良かった」であふれていた。


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#あの失敗があったから
#逆に良かった

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