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これからの5年間を可視化する。

毎日日記を書こうと思ったのは、大学生の頃だったか。高校を卒業して大学生になった頃、毎日の些細な出来事とそのときどきで考えごとをするようになってから、「小さなことほど、覚えておきたい」となんとなく思うようになった。

それからというもの、あるときは手帳に、あるときはA3の大きなノートに、あるときはA5の小さいノートに、と毎年のようにノートを変えてはつらつらと日々の出来事をつづっていた。とはいえ実際読み返すことはあまりない。次第に日記は記録でもなんでもなく、心のもやもやを外在化する場所になっていた。

それでもたまに過去の日記を読んでみると、さまざまなことが思い出される。波乱万丈の人生だったのでは、と錯覚してみたりしたけれど、そんなことはない。大半は「〜と一緒に〜食べた。〜に行って疲れた」みたいな文章も多くて呆れる。現実はさっぱりしている。妄想のほうがよっぽどエキサイティングだ。それでも、いくつかは断片的にシーンが回想できる。日記に書かなければ忘れていたような小さな小さなことだ。

18歳に書いた日記を読み返すと、稚拙で生意気で、赤面するようなこともたくさんある。タイムマシーンに乗って戻ったら、とりあえず当時の僕の頭をはたきながら「何考えてんだお前」と言ってやる。

でもせっかく書いているのだから、やっぱり多少なりとも未来に活かせたらいいなと思って、ほぼ日5年手帳なるものを買ってみた。

大きいサイズのを買った。

2022年から2026年の5年間、毎年同じページに書き込むことによって、その年の月日に何をしていたかがすぐに分かるようになっているすぐれものだ。どうしてもっとはやくこの手帳と出会わなかったのだろう、と後悔しつつ、1/1からせっせと書き始めた。

過去に起きた事実は変えられず、変えられるのは未来だけ。でも過去に対する解釈だけは今この瞬間から変えることができる。
嫌だな、思い出したくないなと思うような心が痛むことも、数年経つとまた違う感情が湧き上がったりする。「当時はあんな風にしか考えられなかったけれど、今思えばこういう考え方もあったのかもしれないな。そしたらもっと違っただろうか」といったような事象は少なくない。

点と点が結ばれて線になるのは、いつだって振り返ったときだけに分かる。今日打っている点は、何年後の点とつながるのかは分からない。でもきっと繋がると信じて、今日も点を打つ。

点と点が線になる感覚は、一度体験するとすごく楽しい。人生って結構いいもんだなぁと思える浅はかな脳みそなので、それはそれでよし。

来年の1月、そして4年後の正月、どんなことが書かれているのか。今から楽しみにしながら今日もささいな出来事とちいさな着想をほぼ日手帳に書いていく。

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