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ゾンビちゃん

 ゾンビちゃんには、名札に印字された立派な名前があったけれど、墓場でばかり遊ぶものだから、みんなからは「ゾンビちゃん」と呼ばれていた。
 ゾンビちゃんは、そう呼ばれるのを気に入っていた。私にぴったりだし、クールだ。と思った。

 ゾンビちゃんのパパはお花屋さんだった。お花は生きてるから、大切に大切に育てていても、なよなよなよと、しおれてしまう日がくる。ゾンビちゃんは、そうしたお花たちをそーっと、そーっと、束にして、淡い桃色のリボンで花束を作った。そして、それを両手で抱えると、墓場へ行く。何かを葬るのは墓場かしらって思ったのだ。
 ゾンビちゃんは墓場へ入ると、淋しいお墓を探した。墓場は広く、土の匂い。どんな時間に行っても、どんな季節に行っても、ひんやりひそひそとしていた。
 ゾンビちゃんは、淋しいお墓を見つけると、奇麗にしおれたお花をひとっつかみ、そっと飾るように供えた。その墓場には、ゾンビちゃんのママのお墓もあったけれど、決して決してママのお墓には近づかなかった。
 パパが週に一度、ママの大好きなカトレアをママのお墓に飾るので、ママのお墓が淋しいってことはなかった。いつも愛されているお墓だから、ゾンビちゃんは遠くからママのお墓を見つめるだけで満足だった。

 日曜日。ゾンビちゃんはたっぷりのバターで、ぶ厚いホットケーキを二枚焼く。ゾンビちゃんとパパの分。ゾンビちゃんのホットケーキにはチョコチップアイスクリームを盛り、パパのホットケーキには抹茶アイスクリームを盛った。粒入りオレンジジュースを用意していると
「んー、いい匂いだなー」
ぼっさり頭のパパがパジャマ姿のまま起きてきた。
「今日は学校お休みか。どちらへお出かけ?」
「お墓」
「そっか。レジャーシート持っていきな。服、汚れるから」
「うん。パパ、なよなよなお花もらっていい?」
「おう。でも今日は少ないぞ。昨日、商売繁盛したからな。はっはっはっ」
「うん……。パパ、先に顔洗って」
「はい……」

 ミルク多めのカフェオレを注いだ水筒とレモン色のレジャーシートをリュックに詰めて、奇麗にしおれた花束を抱えると
「いってきまーす」
ゾンビちゃんは墓場へ向かった。
 墓場の真ん中。それはそれは威風堂々とした楠が一本生えていた。ゾンビちゃんは、その楠が大のお気に入りだった。あまりの巨大さにゾンビちゃんはいつも圧倒されて、ゾクゾクした。太く盛り上がった根っこと根っこの間に、レモン色のレジャーシートを広げると、ゾンビちゃんはごろんっと寝転がって空を見上げた。
 楠の枝や葉っぱの向こう、空が果てしなく果てしなく存在していた。レジャーシートを通して、ひんやりした土を背中に感じる。
 シャワシャワシャワシャワ葉っぱたちが歌う。土の匂い。ゾンビちゃんは、とてもとてもシアワセのような気がした。
 ゾンビちゃんは、自分が八歳であることを空へほうり投げた。『おとな』に辿り着くには、遠くて。遠くて。遠くて。
 あと、どのくらい眠れば『おとな』かな。ゾンビちゃんは計算するのもしんどかった。だって、今日っていう日曜日さえ、まだ始まったばかり。
 シャワシャワシャワシャワ。墓場を通るひんやり風が、ゾンビちゃんを静かに包んでいた。

 小さな鳥が一羽、楠の端っこに止まり、また飛び立った。それが合図だったかのように蒼い蒼い空にひこうき雲がスーーっと、白い線を引いた。
 ゾンビちゃんは目を閉じると、ひこうき雲のパイロットになった自分を想像した。ひこうき雲のパイロットは、後戻りできない。先へ、先へ、先へ。どこへ行こうか。知らない国の空へ。どこへ行こうか。宇宙空間の海へ。そこにママはいるだろうか……。
 ゾンビちゃんは、ハタっと目を開けた。楠の下。土の匂い。
「ぷふー」
 ゾンビちゃんは起き上がると、リュックから水筒を出してカフェオレをゴクンゴクンと飲んだ。のどがひりひり渇いた気がして。

 ゾンビちゃんはミルク多めのカフェオレで、のどを、身体を、頭を潤わせながら、ママのことを想ってみた。
 ゾンビちゃんの大好きなホットケーキを絶妙なぶ厚さで焼いたママ。おはぎを作れば、つぶあんよりもごまよりもゾンビちゃんの好物のきなこおはぎをいっぱいいっぱい丸めたママ。ジンジャーエールをゴクンゴクン飲み干し「ぷっはー」と美味しそうな顔をしたママ。カトレアを色っぽくしおれるまで大切に飾ったママ。
 不意に、裏門が軋む音がして、ゾンビちゃんは思わず、ぎくっとした。

 黒いワンピースを着た女の人がひとり。りんごのいっぱい入った紙袋を両手で抱えて、裏門から墓場へ入ってきた。あんなにたくさんのりんご………紙袋が破けやしないかしら。ゾンビちゃんは危ぶんだ。
 女の人は、あるお墓の前で立ち止まると、りんごをひとつ、お墓に供えた。そして、もうひとつりんごをつかむとシャリっとかじった。
 女の人はりんごを丸かじりしながら、しとしとしとしと泣き始めた。肩より少し長めの髪が、ひんやり風に吹かれ、さらさらと舞う。

 ゾンビちゃんはお墓たちに隠れながら、女の人を盗み見た。なんだか、見てはいけないものを見ている気がした。
 なぜ、あの女の人は泣いているのだろう。人はみんな、いつか死ぬのに。あの女の人も、私も、みんな、いつか死ぬのに。なぜ泣くの?なぜ泣くの?

 夜の静寂がゾンビちゃんの部屋に色を落としても、ゾンビちゃんは眠れずにいた。目を閉じるたび、墓場の女の人がまぶたの裏に現れた。さらさらと舞う髪。りんごを丸かじりするほっぺ。しとしとしとしと震える肩。とても静かに泣いていた。こちらが息を殺すほどに。
 ゾンビちゃんは目を開けて、薄暗がりの天井を見つめた。近所で猫が怪しげに鳴く。夜の路地を独り占めするように。それとも、誰かを密かに誘うように。
 ゾンビちゃんはママのお墓を思い出してみた。艶やかなカトレアに飾られ、愛されているお墓が鮮やかに天井のスクリーンに映った。ママのお墓は愛されている。
 ゾンビちゃんはママのお葬式を思い出してみた。記憶がもどかしいほどに霧めいている。事実だけ、天井のスクリーンに映っては、消えた。ゾンビちゃんは小学生になったばかりだった。ここちゃんのお母さんと黒い服を買いに行った。むつかしい言葉をいっぱい聞いた。寿司桶のお寿司をただ数えていた。お焼香の煙が細く細く生きているようだった。おなかのあせもが新しい黒い服にこすれて痛かった。ゾンビちゃんもパパも泣かなかった。
 ゾンビちゃんは、また目を閉じた。記憶の霧が晴れぬうちに一刻も早く眠ろうと、ゾンビちゃんは目をぎゅうっとした。

 明けて月曜日は、雨だった。
「寝不足だ。私」
 ゾンビちゃんは大人気取りで、けだるく言ってみた。枕に顔を埋めて、じとーっとしているゾンビちゃんを
「シリアル盛り盛りパフェ作ったぞー。起きないのー?」
パパの声が始まった朝を知らせる。ゾンビちゃんは、むくっと起きた。
「パフェ。パフェ。シリアル盛りっ盛りっ」

 シリアル盛り盛りパフェをたらふく食べると、ゾンビちゃんの寝不足はどこかへ散った。給食袋をランドセル横にぶら下げて、苺柄の長靴をはいて、レモン色の傘を持ったら、さぁ。
「いってきまーす」

 時間割通りに学校を終えて、ゾンビちゃんが下校する頃、雨粒は朝よりも太く激しく地上に降り注いでいた。泥んこも水たまりも、苺柄の長靴でへっちゃらなゾンビちゃんは、今日もお墓へ寄り道。
 お墓たちは、みんなずぶ濡れていた。ゾンビちゃんが飾った、なよなよな花たちもびしょびしょのずぶ濡れ。ママのお墓のカトレアは、まだ元気そうだった。なよなよな花たちが雨粒をゴクンゴクン飲んで、シャキーンと生き返ったら素敵なのに。ゾンビちゃんは少しそう思った。
 ゾンビちゃんは、女の人が立っていたお墓を見に行った。供えられた紅いりんごがざあざあざあざあ泣き濡れている。あとからあとから、拭いようがない。しとしと泣いていた女の人より人間っぽい気がして、ゾンビちゃんは怖くも寒くもないのに背筋がゾクっとした。
 ゾンビちゃんは目をパシパシすると「チガウ、チガウ」と言った。
 違う、違う。りんごが雨に打たれてるんだ。それだけだ。シャワー浴びてるみたいに気持ちよさげじゃないか。
 ゾンビちゃんはもう帰ろうと思った。のどがシクシクするし、ほっぺがほてっていた。

 夜も濃く深い時刻。ゾンビちゃんのシクシクのどはイガイガしてきた。ほてりほっぺもポーっとしている。ゾンビちゃんの身体全部がひどく重く熱かった。
「パパぁ……パパぁぁぁ」
パパがドッビュンっと来た。
「どうした、どうした?」
「身体が熱いよー。おぅおぅ重いよー」
パパはゾンビちゃんの額に静かに触った。
「むむっ熱い」
「パパぁぁ」
「こりゃ、風邪かなぁ」
「パパぁぁ」
「んー、大丈夫だよ。……そうさなぁ、病院行くかぁ?」
「やだぁ。やだぁ。パパぁぁ」
 パパは台所へひとっ走りして、氷ざくざくの氷水とちびタオルとレモンの輪切りがいっぱい入った冷たいお水とコップをお盆に乗せて、スーパーマンの如く戻ってきた。
「明日になっても身体が熱いままだったら、病院へ抱えて行くぞ。パパはお前が大切なんだから」
 ゾンビちゃんはヒンヒン了解した。

 ゾンビちゃんは、ほてった頭と浅い眠りのなかで、映像が巡り巡る夢を見た。知っている匂いが、知っている声が、ゾンビちゃんの名を呼ぶ。手が届きそうなのに、遠い。もう、少し。ほんの、少し。行かないで。おいてけぼりにしないで。
「ママ……ママぁ……」
 ゾンビちゃんの掠れたヒリヒリ声が、宇宙空間の海へキラキラ泳いだ。

 パパは丸丸三日、お花屋さんをお休みにした。パパは丸丸三日、ゾンビちゃんのそばにいた。
 ほんとは一夜明けた日から、ゾンビちゃんの身体はスーーっと軽くなっていたけれど、ゾンビちゃんは風邪っぴきのフリをしていた。パパのミルク粥に飽きるまで、こうしていてもいいな、と思った。
 四日目の早朝、まだ空に夜明けの蒼さが残る時刻。ミルク粥よりも寝ていることに飽きてしまって、ゾンビちゃんはむっくりと起きた。背中はギシギシ、おしりはお煎餅のようにペッタンコだったけれど、お風呂に入ったら、さっぱりふわふわした。
 ゾンビちゃんはお気に入りの手さげに必要なものだけ入れて、玄関をそーっと開けて外に出た。パパはまだぐっすりスウスウしていた。
 ゾンビちゃんの行きたい場所は、ひとつだけ。

 魅惑的なカトレアが飾るママのお墓。淋しくないママのお墓。愛されてるママのお墓。ゾンビちゃんはまっすぐ、その前に立ってみた。ひんやり風がゾンビちゃんの髪を梳いていく。蒼白い空に消えそうな細い月、朝に溶ける。
 ゾンビちゃんは無表情のまま、手さげからママの好きだったジンジャーエールと紙コップを二つ、厳かに出した。右に挿したカトレアと左に挿したカトレアの間に二つの紙コップを置くと、こぼれるほどジンジャーエールを注いだ。
 ゾンビちゃんは自分の分のジンジャーエールをゴクンゴクン飲み干し、「ぷっはー」とした。ゾンビちゃんのほっぺをスーーっと、涙が透明な線を引いた。ママが死んでから、ゾンビちゃんは初めて泣いた。

 空の蒼色が少しずつ白くキラめこうとしている。ママの分のジンジャーエールがシュワシュワ言ってる。ゾンビちゃんのほっぺの透明な線をひんやり風が拭っていく。
 ゾンビちゃんは自分の胸の隅っこにいるゾンビちゃんが、静かに笑ったのを感じた。

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