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「野ブタ。をプロデュース」が大好きな作品になった


野ブタを見たんです!!!人生初野ブタ!!!青春アミーゴを知らないジャニオタはもちろんいませんし、野ブタの存在もそりゃ当たり前に知ってたけど、ドンピシャ世代では無いので本編は一度も見たことが無くて!でも最近そういえば見てないなと思ってなんとな~~~く見た。そしたら、めちゃくちゃよかった‼️‼️‼️

とはいってもゴリッゴリの平成ドラマだから、変なエフェクトがかけられまくってたり途中で突然ドカーンと爆発するシーンが入ってたり、映像とか流れに対してのツッコミどころはそりゃ山ほどあるんだけど私がとにかくこの作品をいいなと思ったのはラスト。オチ。話の終わり方。

野ブタの前情報として「学校の地味な女子野ブタ(堀北真希)を修二(亀梨和也)と彰(山下智久)がプロデュースする話」っていうところは知ってて、プロデュース=アイドルとかにする?ってなんとなく思ってたけどとにかく"学校の人気者にすること"が2人にとってのプロデュースだった。男2女1の構成だし、学園ドラマの醍醐味である恋愛は絡んでくるんだろうなと何となく思ってたけど、想像とは全然違うアプローチだった。

まず、彰が野ブタを好きになる。しかもめちゃくちゃ好き。でも、その気持ちを野ブタには全くぶつけようとしない。彰の少し臆病な部分が出ているのかもしれないけど、3人の関係が壊れてしまうかもしれないし、なんてったって野ブタに「好き」とか「付き合って」とかぶつけても多分ただ困惑して、困らせるだけ。彰はそれをわかっているからこそ、ただ野ブタを大切にするだけで自分の感情をぶつけることは無かった。告白のシーンなんてつくろうと思えば簡単につくれたはずなのに、多くの視聴者が望む展開はそうであるだろうに、それが無かったということに私は大きな意味を感じた。

そして修二。修二は元々まり子(戸田恵梨香)と恋人同士のような関係だったけど答えをずっとはぐらかしてて、途中でハッキリと「人を好きになったことがない」と本当のことを告げる。誰からも好かれる人気者を演じて、誰もが羨む女の子を隣に置いて、修二にとっての平凡な毎日を送るために取り繕うことで必死だった。でも彰と野ブタという自分らしくいられる居場所を見つけたことで自分にも周りにも嘘をつかなくなる。
まず個人的にいいなと思ったのは、野ブタと関わる中で「俺にとっての野ブタって・・・」「俺が野ブタのことを・・・?!」みたいなわざとらしい表現がない。学校一の美人で人気者のまり子を周りの目を気にして隣に置いていた修二にとって、まり子の反対のような存在の野ブタを想うということは大きな出来事のように感じそうだけど、まわりからイジられる描写はあれど下手なナレーションとかがない。あくまで3人の友情は自然なもので、ゆったりじっくり距離が縮まっていく感覚があるし、修二は野ブタに対して彰に比べて結構強いことも言ったりもするんだけど、友達である野ブタのことを決して下に見ることはないんだよね。

でも、というかだからこそ、最終回の修二と野ブタのシーンの台詞はあまりにも逸材。引用します。

修二「俺さ、今まで人を好きになるっていうのがいまいちちょっとよく分かんなかったんだけどさ、なんか野ブタのおかげで分かった気がする。一緒に物を食べて楽しかったりだとか、 同じ景色を見てこんな景色一生忘れねぇんだろうなとか思ったりだとか、 死ぬほど笑ったりさ、 時には心配とかもしちゃったりして。あと、もっと一緒にいたいなーって思ったりさ。 なんか人を好きになるってそういうささやかなことだったんだなって。この先、もし俺が誰かを好きになるたびに、 野ブタのことを思い出すと思う。全部野ブタが教えてくれたんだな一って思い出すと思う。小谷....ありがとな。」

野ブタ「私の方こそ、ありがとう.....ってしか言えないのが悔しい。今思ってること全部伝わればいいのに....どれだけ感謝してるか、ちゃんと伝わればいいのに....」

修二「わかってるよ。俺も同じだし。」

よ、よ、、よすぎ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~❓❗️❗️❓❗️❓❓❗️❓❗️😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭なにこれ~~~~~~~~~~❗️❓❓❗️❓❗️❓❗️❓❗️😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭


だってこれ、「告白」だけど「告白」じゃないじゃん!!!!確かに伝えている感情は「好き」なんだけど、「好き」って言葉をストレートに言う訳じゃなくて、とにかくただ伝えて、それを受け取って返して、また伝えてって、「会話」じゃん😭😭😭私には、このやりとりって「恋」とも「愛」とも取れるなと思ってそれがすっごく素敵だと思った。人を好きになったことがなかった修二が、人を好きになることを"一緒に食事して楽しかったり、景色見たり、笑ったり、心配になること"って、ささやかなことだって表現する。ドキドキとかじゃなくて、野ブタと過ごした日々を思い浮かべながら言ってる。「この先誰かを好きになる度、野ブタのことを思い出す」「全部野ブタが教えてくれたんだって思い出す」すご..................これってほぼ「月が綺麗ですね」じゃん...........................
そして、それに野ブタは一貫して「感謝」で返すんだよね。野ブタの「思ってること全部」が何かは分かり得ないけど、お互い「感謝」として言葉を紡いでいて.......素敵.......
野ブタサイドでも「どっちが」とか「どっちのほうが」みたいな描写はない。どちらか大切なほうを一人選べといわれて、野ブタは答えを出せなかった(出さなかった)。それがもう全てなんだよね。野ブタの描写で、恋の意識はなかったけど、でも確かに愛を覚えていたのが良かった。

最終回の修二バイバイエンドは個人的にすごくドラマっぽくて、ここまでドラマらしい展開じゃなくても絶対楽しめたのにともちょっと思ったんだけど、修二が転校した先の学校に彰がいるのを見た瞬間に全てを理解出来た気がした。野ブタをプロデュースする中で、どちらかと恋人になる訳ではなく、はたまた彰と野ブタが残る訳でもなく、紛れもない「修二と彰」で終わった。俺たちはいつでも二人で一つだった.........マジでそうじゃん..................しかも彰に転校を勧めたのは野ブタだった。野ブタのプロデュースは成功したけど、野ブタは笑えるようになったけど、でも、野ブタらしさはすべて残ったままプロデュースが成功したなと見てて思ってて。見違えるように変わった野ブタじゃなくて、少しずつ感情を覚えた野ブタが、一人になることを選んだ。最終回まで見ても、もう野ブタは絶対大丈夫!!って、言いきれないところが、すごく不完全で愛らしい作品だと思った。あと、こういうドラマで「愛」の描写があると、まるでそれが人生最後の出来事であるかのように描かれることが多いと思うんだけど、この作品はなんというか、修二も彰もきっといつか他の誰かを好きになるし、野ブタもきっともっと多くの出会いがあると思う。野ブタのこと大好きだった彰が修二の元へ行くことを決めたのは、野ブタの願いだったこともあるけど、野ブタが一人でも大丈夫って野ブタに思わせたかったのかななんて考えたり。修二も彰も野ブタへの愛は確かにあるけどしつこくないんだよね。執着してない。この3人を繋ぎ止めてたのはやっぱり「人を思いやる心」なんだなって思えるところが、その余白が好きだった。

近年のドラマって、もちろんストレートに恋愛を描くものもあるけど、「恋愛なんて必要ない!」みたいなスタンスの作品がとても増えてきたように感じる。そこで描かれるのは友情物語だったり、家族愛だったり、はたまた「一人でいること」を描くものもあるけど、この野ブタという作品はすごく曖昧。不思議なくらいに曖昧。
私はドラマにおいても人生においても恋愛が全てじゃないと思うけど、執拗な「友情勝利描写」にはいつも違和感を覚えていて.........それは人には友達がいるように、人には恋人がいたっていいと思うから。でもこの野ブタは、「恋愛」でこそ終わらなかったけど愛情をもつことをすごく大切にしていたし、一緒にいることだけが「友情」じゃなかった。この塩梅、すごく好きな「友情」の描かれ方だった。

私にとって野ブタは、とにかく面白かった!という感想より、良かった!という感想が似合う作品だった。また時間が経ってからいつか見返しちゃうと思う。他のドラマのオチを想像したとき、こうだったらいいなと3人の顔が浮かぶと思う。

放送から約18年経っても、こうやって誰かの心に届くことがあるよ❗️❗️❗️野ブタ、ありがとうーーー❗️❗️❗️また会おう❗️バイバイシコー❗️❗️❗️

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