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我が初恋の話はよく出来すぎてるので岩井俊二監督が映画化するべき

どれを初恋と呼ぶか、人によっては難しいと思う。僕が初めて特定の女性に好意を持ったのは、幼稚園のクラスメートのIちゃんだった。大人になって卒業アルバムを見返すと、1人だけずば抜けて整った顔立ちの園児がいる。なんでその子ではなく、特に親しかったでもないIちゃんだったのか今となっては思い出せない。

公式見解としての初恋は小学校3年生の時、同じ塾に通うTちゃんだった。ショートカットに眩しい笑顔が似合う、優しくてほがらかで快活な彼女は、いつもみんなの輪の中心で太陽のように輝いていた。成績は極めて優秀、スポーツもそこそこ優秀。その後僕が憧れることになる、大戸島さんご≒泉野明ちゃん、緒川たまきさん、広末涼子さん、藤岡みなみさん、のんちゃん、なまはむこさん、雨宮未來さん、玉城心菜といった系譜の原点だ。

かたや僕は子供の頃から隅っこの隅っこにいて、Tちゃんと話したこともなければ、存在を知られているかも甚だ疑問だった。彼女が太陽ならば僕は月でもなく、惑星からも降格された冥王星だった。そしてなにより、Tちゃんとは同じ塾でも通っている教室が違っていた。その塾は毎年夏休みに新潟で1ヶ月の合同合宿があった。Tちゃんに会えるのはそのタイミングだけだった。遠くから憧れの眼差しで眺める夏は4年生、5年生になっても続いた

おんなじって言うな、みんな違ってみんないい

その合宿は、午前中は自然観察の授業、午後は体育の授業があって、夕食後に塾らしく勉強の時間がたっぷり取られていた。それとは別に、キャンプや運動会、川遊びやマラソン大会といった行事がたくさんあった。最終日前日には大きな櫓が立ってフォークダンスに盆踊り大会、そのあと地元の夜店がたくさんならんで、夜の草っぱらで焼きそばや焼き鳥や綿あめを食べた。僕が毎年ぼっちだったのは言うまでもない。

5年生の最終日2日前のことだ。フォークダンスと盆踊りの練習があった。「じゃあみんな二人組作って!」。陰キャにはお馴染みの悪魔の呪文がかかった。おろおろしてた僕を遠くからTちゃんが見てた。走ってきて手を握ってこう言った。「山下くん一緒に踊ろ!」。Tちゃんと二人組を組んでいたはずの子がどうなったかは知らない。話したこともない憧れの子が、2年の想いを超えて僕の名前を呼んで手を握ったのだ。

嬉し恥ずかしフォークダンス

フォークダンスは、男子と女子が手を繋いで踊るという、小学生にとっては嬉し恥ずかしすぎるドッキドキの風習で、極めてけしからん!と声を小にして言いたい。緊張でぶっ倒れそうな僕をTちゃんは冗談で笑わせて、気持ちをほぐしてくれた。翌日の本番もTちゃんと踊った。もうなにがなんだかわからなかった。終わって草っぱらの土手に座って、父兄が寄付した大きな花火を見ていたらTちゃんが駆け寄ってきた。

お互い子供用の浴衣で、夜店を回って笑い合って、土手に戻って戦利品を食べた。「山下くんって絵が上手だよね!」「動物が好きでいつも優しいね!」「ユーモアのセンスが独特だと思ってた!」。存在すら気づかれてないと思ってたTちゃんが僕のことをよく見てくれていた。それはもう夢のような時間で、僕もいつもよりちょっと饒舌になって笑いあった。

次の日は帰京である。当時の上越本線で上野に帰り着いて解散。「来年また会おうね!」「来年はもっといっぱいお喋りしようね!」。そして6年生の夏…。Tちゃんは合宿に来なかった。成績がよかったので中学受験を薦められて、進学塾に転入したと聞いた。あれ以来、Tちゃんには会ってない

初恋は遠い日の花火でしかない

2匹の猫と暮らしてます。ポップス、ソフトロック、ポストロック、エレクトロニカ、テクノ、ジャズ、民族音楽、現代音楽、現代芸術、漫画とペヤングを食べてます。