(全文公開) 被爆国の一国民として、わたしにできることは何だろうか。
「1945年の8月6日、8月9日、8月15日は何の日か」。
答えは言わずもがな、
「広島原爆投下、長崎原爆投下、そして終戦記念日」。
幼いころはサイレンと共に黙祷を捧げ、中学時代は受験に出るからと暗記したのを覚えている。
“念に一度の悲しい日”。
10代半ばまでは、その様にしかこの8月の日を受け止めていなかった。
被害にあった地域は広島と長崎だけではない。
次いで話に上がるのは沖縄や東京だが、日本で言えば、日本中で空襲はあった。
こちらの年表によると、現在私の住む愛知県だけに注目しても
同年3月12日・19日 名古屋大空襲(死者1,300人以上)
7月28日 愛知・一宮空襲(死者727人)
8月7日 愛知・豊川空襲(死者2,477人)
と死者だけで4,000人を超える被害が出ている。
昨年、広島平和記念資料館がリニューアルされた。
初めて訪れた際の、蝋で作られた「被爆再現人形」の印象は忘れられない。この人形の悲痛さにショックを受け、一緒に行った仲間で途中退館した者がいたことも覚えている。そのショックにより、二度と資料館を訪れたくないという者もいた。見学後はしばらく放心状態が続いた。
今回のリニューアルで、蝋人形は“被害はそんなものではなかった”という被爆者方からの批判もあり、誤ったイメージを植えつけないため、多々議論の末廃止された。
わたしはリニューアル後にはまだ訪れていないが、既に訪れた広島出身の友人によると「リニューアル前に比べて、心に訴えかける展示だけでなく、科学的根拠が示された内容が増えた」とのことだ。
この話を聞いたとき、一時のショック感情によって原爆のこと、そして戦争のことを“怖い”と受け付けなくなってしまう者が出てしまうより、最後までしっかり展示を観て、事実を受け止め考える方が増えた方が良いのではないかと思った。
その一方で、私自身の体験を振り返り、資料館見学後に被爆当事者の方のお話を伺ったことも非常に印象として大きかったことに気が付いた。
周知ながら、原爆により今も被害に苦しむ方は多い。社会的差別や偏見も存在する。
先日、7月29日、「黒い雨」訴訟の判決が原告全面勝訴となった。(※しかし現在政府は控訴する方向とのこと https://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000006842.html)
「黒い雨」とは、原爆投下直後に降った放射性物質を含む雨のことだ。それを浴びたにも関わらず国の援護対象外とされた原告者84人が2015年に提訴し、5年間に16人もの原告が亡くなっている。
「黒い雨」訴訟判決の数日後、厚生労働省が発表した2019年の日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳。いずれも過去最高を更新したとのことで喜ばしいニュースと報じられたが、延びたといっても0.13~0.16歳。先の訴訟判決ニュースの影響があり素直に喜べなかった。
終戦年に生まれた方は今年75歳となる。
5年後、10年後、生で肉声を聞ける被爆一世の方は何人だろうか。
いかなる社会問題も当事者の声を聴くことが重要だと思っている。
当事者の声なしに解決はないとも感じている。
SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」。
わたしにできることは、何だろうか。
まずは自分自身の耳でできるかぎり当事者の方々の話を聞きたい。
そして、話したい。考えたい。
小さなことかもしれないが、そこから始めよう。
被爆国の国民として、いや例えそうでなかったとしても、戦争のもたらすことに対して、20年前のわたしのように目を瞑ることはあってはならない。
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