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私が苦手に感じる人ほど私への愛がすごいなって話

先日、前に退職した元同僚から突然私を中傷するメッセージがスマホに届いた。
もう会社を退職してだいぶ経つからすっかり彼女の存在を思い出すこともなくなっていたし、なぜこのタイミングで?と思うようなタイミングでの出来事に結構びっくりした。

彼女はある日突然会社を電話一本で長期欠勤し、しばらくしてまた今まで通りに復帰したいと申し出てきたのだが、会社がそれを断ったことで退職することになった。
その時の退職勧奨の面談に私も同席していた。
それが今回の中傷メッセージのきっかけになっていたようだった。
そのずいぶん前の面談のことについて、あの時の私の態度がどうだったとか、もうよく覚えていないことについてつらつらと恨み言が書かれている上に、ついには仕事とは関係のない私の生き方についてまで中傷するような文章もあり、うわぁ…と、なんかホラーでも見ているような怖さを感じた。
もう、なんかとにかくなんでもいいから私のことを攻撃したいんだなぁという意欲だけはとても強く感じる長文のメッセージだった。
これだけ時間が経ってもどこにもやり場のない怒りが自分の中に溜まり続けて、発散する手段がみつからないとこんな形で自分の中から追い出そうとしまうのかもな、と夕方に初めて読んだ時には割と冷静にそんなことを思いもした。

でも、困ったことにそのメッセージの内容が夜になっても頭から離れないのだ。
なんか突然理不尽な中傷を受けたのであって、別に私が気にするようなことではないと頭ではわかっているのだけれど、心がとてももやもやとして何度も頭の中にあの言葉たちが反芻される。
自分で思ったよりも心がダメージを受けていたことに気が付いた。
今更ながら理不尽さに腹が立つ。
何で私がこんなことされなきゃいけないんだ、ともやもやした。

私は急に一方的なダメージを与えられた時にも黙って耐えられるようなできた大人ではないので、せっかくだから中傷のメッセージは自分を内観する道具として最大限に利用させてもらうことにする。
私の不幸を望む人には、私の最高に幸せそうな姿で返すのが私の流儀だ。
あなたの悪意は私の幸せな人生のために存分に役立ててやるからな!!

そんなわけで、さっそく内観。
彼女の言いたいことをものすごくざっくりと要約すると、
「私の思い通りにしたいのに、思い通りにさせてくれなかった相手(私と上司)を加害者にして責めている」
という感じ。
その行為をそのまま、私自身の中に見ていくことにする。
私が、「私の思い通りにしたいのに、それを邪魔する私のことを加害者にして責めていた」ことがあるかもしれない。
はたまた、「私の思い通りにしたいのに、それを邪魔したと感じた誰かことを加害者と感じて責めていた」かもしれない。
相手から感じることを、そのまま私の中にあるものとして、探して、見つけて、相手と自分が同じであったと見れる可能性を探していく。
すごくぴんとくるものが見つかるときもあれば、これはどういうこと…?みたいに全然ぴんとこないこともある。
ぴんとこなかったら、あまり深追いせずにそのままにしておく。
そうすると、もう忘れてしまった頃に、何で今?という不思議なタイミングで突然はっっ!!!と気づくことがある。
その時の感覚は、ああー、そういうことね!!!と、とても爽快だ。
だから、すぐに答えがわからなくても気にしないこと。
せっかちですぐに正解が欲しくなる私にとっては、とても大事なことでもある。

今回はぴったりくるものがすぐに見つかった。
つい最近、「私はこうしたいと強く思っているのに、私の本体(私の魂、私の本音、みたいな部分のことを私は「本体」と呼んでいる)はそうしたいと思っていないようで、私と本体の意見が合わずに状況が私の思い通りにはならなそうだ」と感じ、それに対して私が本体に強い怒りを感じ、私が自分で自分のことを意図的に傷つけようとして、ひどい言葉を浴びせた、ということがあったのを思い出した。
彼女が私にしたことは、まさに私が私にしていたこととぴったり重なる。
彼女が私に送り付けた言葉を通して、私が今自分のことをどのように扱っているのかがとてもよくわかるのだ。
私は思い通りにならない私を暴言で脅して、私の思い通りにコントロールしようとしていたことがわかった。
そして、そんな自分を「悪いことをしている」と責め、罪悪感を感じたりもしている、ということも感じられる。
要約だけでもうすごい情報量。
文章ひとつひとつを読み取っていくと、それはそれは良い内観の材料になる。
時間はかかるし、私こんなことしてるんだ、うわー、みたいなものもごろごろ見つかるんだけど、結構面白い作業だと思っている。
大事なことは、どんな自分があぶりだされてきても、責めずに面白がることだ。
あー、私こんなことしてるんだなー、だからこういう人が出てきたんだなーって面白がって見るようにしていたら、最初は苦手で仕方がなかった内観も少しずつ楽しめるようになってきて、今度はどんな自分が見つかるんだろうとわくわくできるようになった。
それでも、あまりにも直視できないような、これを自分と思いたくないような自分が見つかってしまったと感じることもあったりする。
どうしても「こんな自分がいるなんて…!!!」みたいに受け入れがたい!責めずにいられない!みたいな時には、責めてしまう自分のことも責めずに眺める、みたいなスタンスでいるようにしている。
あー、それはどうしてもいやだと思っちゃうのね、みたいな。

そんな感じで今回の中傷メッセージを使って内観してみたところ、

・私は自分の本体との関係を「命令する側(本体)とされる側(私)」と捉えていて、本体の命令は絶対で逆らえない、みたいな主従関係を感じている
・自分が被害者的な立場をとっていて、自分の人生を自分で選んでいく力がないと思っている
・思い通りにならないことを他人のせいにしている
・自分だけが思っていることを「みんながそう思っている」と主語を勝手に大きくして自分のことを非難している
・私は世間知らずで常識がない、と強く思い込んでいる

などなどを感じ取ることができた。
そして、今回内観して感じた中で一番意外だったことが、”自分が子どもを産んで育てることをしない人生”を選んだことに対して、思った以上に強いうしろめたさを感じていた、ということ。
自分ではあまり意識したことがなかったけど、今回の中傷の内容の中で一番もやもやポイントの高い箇所でもあったので、見過ごしちゃいけないなと思ってしっかり見てみたら、ふいにこんなのが出てきてびっくり、みたいな気づき方をした。
思った以上に罪悪感感じていたんだなぁと初めて認識することができた。
だいぶダメージはあったし、その日の晩はよく眠れなくなってしまったけど、今まで見逃してきた色んな事に気づけて、結構利用価値の高い文章だったと思う。嫌だけど。

”自分が動揺した出来事については特に内観してみるといい”
とはよく言われてきたけど、動揺する出来事って、だいたいなんか嫌な思いをしたり怖い思いをしたり、もやもや嫌な後味がしたりするようなことが多いから、その出来事や相手のことをつい嫌だな、苦手だな、と感じてしまうのだけど。
そういう相手や出来事から受け取れるものこそ、私がいままで見えていなかったとても大事な盲点をみせてくれるものだったりすることが多くて、なんか複雑な気持ちになる。
あいつあんなこと言って!!と怒りながら、でも大事なことわかったなぁ!!って感謝も感じる、みたいな。
それにしても、自分が「こいつ!!」みたいに思われる役回りを買ってまで私にそういう大事なことを見せようとしてくれる人って、どんだけ私に対する愛が強いんだよって思う。不思議。
相手にそんなつもり微塵もないと思うんだけど、誰にも、本人ですらわかってない部分の愛情がすごく強いのかなって思う。わからないけど。
まぁとにかく、捨て身で訴えてくれたあなたの愛は無駄にしないぜ!!
ちゃんと受け取ったぜ!!

ほんとになんなんだよと思ったけど、彼女が今後心穏やかに安心して過ごせるようになりますようにと願うことにする。

そして、"動揺する出来事”が、こんなえぐいやつじゃなくて、もうちょっとソフトな感じで来てくれることも切に願っている。
ソフトだとついつい、まぁこんなことなら、って流しちゃう気がするからしょうがないのかな…。笑

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