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鎧を脱ぎ捨てて

大学生になって、特にこの春ぐらいから、これまでの自分の考えの根幹がわりと大きく方向転換した。だから最近は、これまでの指針を失ったみたいな感じがして心は安定しないこともあるけど。変わっていくときって不安定だからそれでもいいや。
どう変わったのか。最近ずっと言葉にしたくて、でもうまく言葉にできなくて、だから自分を整理するためにも誤解を恐れずに羅列しようと思う。

全ての人に好かれるのは無理だと知った。どうやったって仲良くなれない人はいるし、そういう人とは仲良くしなくていい。
テンションとノリで盛り上がる多くの人はいらなくて、本当に仲良くしたい人と深い付き合いをすればいい。

華やかでなくても自分が心から満たされることをすれば良いのだなあとやっと気付いた。やっと、なんて書いたら気づいてなかったこれまでの自分を咎めてるみたいでよくないね。これまでのいろんな考え方の自分がいたからいまの考え方にたどり着けたんだから。
自分が楽しいと思えることを、それを共有できる人として、それで終わりでいいじゃん。SNSに乗せなくったって、おしゃれな写真がなくたって、心の中に楽しいという気持ちとともに思い出があればいい。

周りに合わせなくてもいいじゃんと思うようになった。一人がこわくなくなった。別にひとりぼっちってわけではなくて、周りといつも一緒、同じ、じゃなくていいじゃんと気づいた。やりたいことをやる、やりたくないことはやらない。それでいいじゃん。無理に合わせなくたっていい。そういう関係を私は望んでいると知った。

感情全てを共有しなくてもいいことを知った。友達や家族にありのままの事実すべてを伝えなくたって、自分だけの気持ちがあってもいいし、表情には出さない感情、思考があったっていい。

こうやって書いてみて分かったんだけど、「こうあるべき」「こうじゃないといけない」ってとこから解放されたんだなと気づいた。
これまでの私はどうも自分をよく見せたいと思い過ぎていたようだし、そうして褒められた自分を誇らしく思って、どんどんもっとよく見せようと自分で自分を縛っていたんだな、と今思った。
「誰とでも話せていいね」「ほんといい人だよね」「ノリいいよね」「なんでも乗ってくれて最高」なんてこれまで自分の武器だと思っていた言葉が、今となっては薄いペラペラな紙切れで、自分を形成するために纏っていたはずのそれらはボロボロと落ちていく。
「これが自分だ」と思い込んでいた鎧が剥がれ落ちていくことは不安で、どうすればいいかわからなくて、自分とはなんだと考えてみたり、これまでの自分は間違っていたのかと後悔したりしていたけど、こうして言葉にすると清々しい気持ちになれてなんだかほっとした。



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