[文]詩を書くぼくが読む本ー「いい子のあくび」高瀬隼子


 ここ2、3年、ほとんど詩しか読まなくなったぼくが、久しぶりに読みたくなったのがこの本。高瀬隼子さんの「いい子のあくび」でした。
 詩の魅力は、純度の高い言葉の切れ味。長くても数十行で、描ききってしまう鋭さにあるわけだけれど、高瀬さんのこの小説には、短ければ一行、長くても数行で、尊い詩に匹敵し、小説一作品分の値打ちを感じるような純度の高い言葉の結晶がありました。
 この本だったから、小説に戻れた。戻ってしまった。そんな本でした。偶然に見える邂逅に理由はあるんだな。

「それで、わたしもよけるのを止めにした。よけない人のぶんをよけないことにした。」

この一行だけで完全な詩。2020年代に燦然と輝く一行。小説中にあるとは思えない一行。共感の怒濤。滝。宇宙。本作のベスト一行。

「ぶつかったる。」

満点の冒頭。タイトルからはまったく想起しない書き出し。ページを開いた人全員が引っかかってこけそうになる一文。

「あ、消費されてる、って思う。わたしだけのものだったはずの、わたしのストレスや苦労や不満が、教育のために消費されていく。大地が真剣に話を聞いてくれようとすればするほど、つけっぱなしにしているテレビみたいに聞いてくれるだけでいいのにと思う。すこし時間が経つと、大地のためになって良かった、と思い直す。わたしからあげられるものがあってよかった。」

消費されている自分を、恋人のためになったと、あげられるものがあってよかったと感じる一場面。屈折しない愛情などない。そう確信させてくれる一節。

「くさったまんこの歩いているやつめ。」

男には書けない、と思うのも令和にはもはやふさわしくないのかも。とは言え、いやいや、真似したくてもできない台詞です。

「差し出しやすいものから順番に搾取されると分かって、それに怒っているくせに、結局流されて迎合しているだけなのかもしれない。」

自分の、あるいは現代人の弱い部分に目を向け続けないと書けない一文。「サクシュ」も「ゲイゴー」も知らずに生きていれば「コーフク」かも。しかしそれは偽り。


次は何を読もうかな。どんな一行に出会うかな。

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