名称未設定のアートワーク_6

認知症のなかで「確かなもの」ーNHKスペシャルを見た

Where are you?
Where am I?
Where is Mizuko?

「あなたはどこ?私はどこ?瑞子はどこだ?」

認知症医療の第一人者であり、「痴呆症」という呼称を現在の「認知症」に変えることを提唱した人でもある、長谷川和夫さん(90)が、自身が認知症になったあとの日記に出てくる言葉だ。瑞子は長谷川さんの奥さんである。

「生きている上での確かさが少なくなってきたように思う」ーと、長谷川さんは繰り返す。曜日が曖昧になり、予定が把握できなくなり、行き慣れていた場所にいけなくなる。認知症は、そういう一つ一つでいろんなものが確かじゃなくなってくる病気だ。

長谷川さんが、奥さんのへの感謝の気持ちを綴る場面がある。

僕の体や精神、心のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてだ。なんというのだろう、いつも瑞子とともにいるかんじだ。幸せだと思う。
朝起きて、今日はなにをするんだろうな。俺はいまどこにいるのかな。自分自身のあり方がはっきりしない。彼女がそばにいて朝言葉をかわしてくれる。おはよう 調子はどう?よく眠れた?お互いにそういう言葉をかわし合うんだけど、それで大丈夫なんだな、よかった。だんだん不安がうすれてって、確かさが戻ってくる。

時間軸も物理的にも、自分が今どこにいるのかが曖昧になってしまう本人にとって、確かなのは「目の前の景色」。長谷川さんにとっては瑞子さんであり、住み慣れた家であり、娘であり、通い慣れた喫茶店。この人がいる、自分がここにいる。そういうひとつひとつを確認することで、長谷川さんは「確かさ」を確認するのだ。とてもあたたかい表現で、長谷川さんも幸福感を感じていると書いている。

一方で、冒頭に書いた英語の走り書きのような長谷川さんの日記は、必死に母親を探す子供のようだ。瑞子さんが長谷川さんにとって、霧がかかった海に放り出されたような中で見える灯台のような存在だということがよくわかる。

ここからは、我が家の話になる。

自分のエッセイで何度も書いているけれど、私の父は50代後半で認知症の兆しを見せ、64歳でアルツハイマー型認知症の診断を受けた。診断当時、母は60歳、私は31歳だった。なかなか診断が下りないグレーゾーンの時代を経て、父の診断がおりた2年後に、母は癌で他界した。その後は兄弟と私で数ヶ月間父を介護したのち、現在父は有料老人ホームで暮らしている。

この番組の放送日は、午後に父のホームを訪ね、なかなか元気にしている父と屋上へでてコーヒーを飲んだり、穏やかに他愛もない話をして、家へ帰ってきた。そして夜にふと、この番組を一人で見た。

すると………苦しくて見れなくなって、一旦再生を止めた。テレビを見てこんなにしゃくりあげて泣いたのははじめてだった。自分でも意味がわからないくらい泣いた。それからまた気持ちを落ち着かせてからもう一度再生して続きを見始めた。そして、何でこんなに泣いたんだろう?という理由を書いていきたい。

父はこういう気持ちだったのだろうか

長谷川さん自身から語られる認知症の苦しさや、素直な感情の綴られた日記。それはあまりにも、父の姿に似ていた。自身の進行や病状に敏感である長谷川さんだからこそ、認知症の当事者がなかなか言葉にできなかったことを明確に言葉にしていたのだと思う。だから父もこういう気持ちだったのかもしれないということが初めて明文化されたような気持ちになった。この番組をみて、そう感じた当事者家族の方も多かったのではないだろうか。

番組内の長谷川さんは、言うなれば二、三年前の父の姿なのだ。父ももう少し自分の意思を表現できたころ。父は長谷川さんほどうまく語れなかったから、長谷川さんの言葉がその頃の父と母の姿と重なって、色々なことが思い出された。

「ありがとう」の重荷

長谷川さんが奥さんに感謝の言葉を述べていたように、父も、病気が進行していき、自分ができることが減っていく中で、よく「ありがとう」と言うようになっていた。アメリカ人気質の父は「愛してる」、「幸せだ」なんてことも、恥ずかしげもなくよく言っていた。

身の回りの世話をしていた母に、父が感謝を伝えていたのは間違いないし、父自身が幸福感を感じていたことも間違いないと思う。そう感じることはやはりあるものなんだ、という救いを感じた。その一方で、不思議な苦しさを感じた。

我が家の場合、病識のない父の日々の世話をするのにはいざこざが絶えず、母への負担は増す一方だった。80代後半で発症した長谷川さんのケースとは我が家はまったく異なるとはいえ、父からの感謝や家族にすがる気持ちは、すがられる家族としては複雑な思いもある。病識がなく、世話などいらないと言いながらも明らかにケアが必要で、世話されている状況ならなおさらだ。

母は、父のその「ありがとう」を、多くの場合好意的には受け取らなかったような気がしている。受け取れなかったと思う。それは、「ありがとう」で解決できない負担感、あるいは「ありがとう」を言われるたびに感じる重荷もあったんじゃないか。母は正直言って本当に、苦しかったと思う。毎日介護をしていたときは、私も「ありがとう」をまっすぐに受け止められなかった。本人の素直な言葉を、まっすぐに受け取れないことを悔やんだり悩んだりするくらい、家族にとっては意味のある言葉なのだ。

長谷川さんの「ありがとう」を見るたびに父の「ありがとう」を重ねて、それを受け止めていた母のことを思うと、複雑な思いがした。ああ、父は本当に幸せを感じていたんだ。だけどあのときの母は、どうだったのかな、と。

いい話と捉えられることもあるだろうけれど、本人のピュアな感情にふれるのは、家族やケアする側の人にとってはかなりつらい。番組内では奥さんの葛藤などは特に描かれていなかったけれど、長谷川さんの感謝と葛藤の裏に、奥さんも何かしら思うことがあったのではと思う。

「奥さん」「家」ー確かなものを2つ、失った父

Where is Mizuko?

これは長谷川さんの言葉であり、完全に父の言葉だ。実際父のメモにもこういう内容がある。父はいつも、母を探していたし、今も探している。
しかし父にとって確かな存在であった母は、今、もういない。

番組内で、長谷川さんはデイサービスや有料老人ホームを利用しなかった。認知症医療を進める中で、家族の負担軽減を考えて自分が提唱した仕組みでもあるから、奥さんへの負担軽減を考えれば入った方がいいことはわかりすぎるほどにわかっている。でも耐えられない…。だから自分の城に帰る。これについても思うことはたくさんある。

そしてうちの父はいま、施設にいる。それを長谷川さんと比べてかわいそうだ、なんてことを思っているのではない。
長谷川さんが必死に掴もうとしている『確かさ』ー「奥さん」と「自分の家」。その両方を父は失っているのだー有料老人ホームで「我慢」しようとする長谷川さんの正直な言葉から、父の想いの輪郭がはっきりと縁取られた気がしたのだ。

それを私は忘れてはいけないんだということを、改めて思った。自戒というには言葉が重いけれど、最近感じていたことと重なって、ウッとなった。

父は施設に入って、生活リズムが整い、食事も睡眠も健康状態も良いし、清潔で安全な環境にいる。職員さんも親切。その生活に慣れ始めた父は、結構満足に暮らしているし、在宅のときよりも明らかに健康で落ち着いている。

だけど、いつだって根底には「Where am I?」があるのだ。

住所とかの問題ではない。自分は一体どういう人間だったっけ?自分に家族はいたんだっけ?時間軸も人間関係も人生経験もすべてひっくるめて、自分がどこにいるのか。父にとっての確かなものは、今毎日、目の前にない。

父にとっての唯一確かなものは、今は娘の私であり、家族や友人なのだ。部屋に好きな本やCDを置いていたって、一人ではなかなか鑑賞できない。自分が何を好きだったかということもわからなくなる父と、それを楽しむ時間を共有しなければ、もともと持っていたはずの「確かなもの」はなくなってしまうのだ。

認知症の家族と離れて暮らす人が、一層自覚したほうがいいこと

そうはいっても、献身的に毎日など会いにいけない。会いに行かなくても施設でお世話はしてもらえるし。ちょっと今日は行くの億劫だな。そういう積み重ねで足を運ばなくなるほど、父は「確かなもの」からどんどん遠ざかる。でも毎日足を運んだとしても、病気は、進行するときはする。確かなものをたぐり寄せて徐々に近づけていくことはできない。でも、目の前にその瞬間、ホイッと置いてあげることはできる。会いに行くでも、電話するでも。それが週に一回でも二回でも。

在宅介護の人にはあまり重く受け取らないでほしい。だけど特に認知症の家族を持ちながら現在同居していない人は、自分がその人の「確かなもの」の一つであることは自覚しなければいけない。と改めて思った。これは診断がおりていても、いなくても関係ない。もし離れて暮らす自分の家族にそういう兆しがあるなら、自分自身が、その人にとっての「確かなもの」であることを自覚する。それだけはしておいたほうがいいと思う。

認知症になっての景色は、以前と変わらない

番組最後に、印象的な言葉がある。

”認知症になっての景色ってどんな景色ですか?"
「変わらない。ふつうだ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んで行くとき富士山が見えるとき ふつうだ。会う人も普通だ。変わらない。」

認知症になっても、見える景色は変わらない。
医者として認知症患者を何人と見てきて、なおかつ自分自身が認知症になった長谷川さんがいう。個人差はあれど、もう、それは認識として間違いないのだろう。

今日も私と父は、施設の屋上で、一緒にあたたかい日差しを浴び、夕日を見た。父は「きれいだねぇ、気持ちいいね」と言っていた。「さくちゃんがきてくれて嬉しい」とも。取り巻く状況が変わっても、今、その瞬間に父の目から見える景色は、おそらく以前と変わっていない。夕日も、コーヒーも、私のことも。きっと、本当にそうなのだろう。

今日自分が過ごして、見た景色を、私もなるべく忘れないでいたいと思った。

画像1

すべてのトピックにおいて2時間くらい語れるな、という気持ちにさせてくれた番組。病気を公表して、こういう形で見せてくれた長谷川さんとご家族に、大きな感謝と敬意を込めて。

NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」
再放送は 1/16(木)午前0時55分〜1時44分
または、NHKオンデマンドで是非見てください。
父と母についてのエッセイは、cakesにて連載しています
よければそちらもどうぞ。次回は1/27(月)に更新されます。



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はんことことば あまのさくやです。1985年生まれ。チェコ親善アンバサダー。ラジオ好き。若年性認知症の父と、がんで逝った母についてのエッセイ「時をかける父と、母と」が、現在cakesにて連載中です。お仕事依頼はこちら→sakuhanjyo@gmail.com

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