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あなたはまだ森高千里のサビしか知らない

森高千里。

『私がオバさんになっても』の人。
いつまで経ってもオバさんにならない人。

そのとおり。そのイメージは間違っちゃいない。だけどそのイメージで止まっている人がいるとしたら、あなたは森高千里の「サビ」しか知らない。

私がオバさんになっても 泳ぎに連れてくの?
派手な水着はとてもムリよ 若い子には負けるわ
私がオバさんになっても 本当に変わらない?
とても心配だわ あなたが 若い子が好きだから
(『私がオバさんになっても』/森高千里)

一度聞いたら忘れられないインパクトで、関係性と情景まで浮き彫りになる名フレーズ。まず、この作詞を手がけているのが森高千里だということはご存知ですか?常識だろ、って思ったあなたが20代・30代だったら、今すぐ仲良くなりたい。多分結構、少数派だからです。

私は現在35歳だが、森高千里のファン層よりは少し下の世代である。私の世代、30代が知る森高千里は、前述の『私がオバさんになっても』、『渡良瀬橋』。あとは、のーもーうー♪の『気分爽快』。どれも名曲だ。だけどあなたは、森高千里をフルコーラスで聞いているだろうか?フレーズの強さと見た目・声の麗しさとのインパクトにおされて、「サビは知ってるけど歌はフルに知らない」状態だったりしないだろうか?20代は、もはや知らないのだろうか?と思ったらちょっと泣きそうになってしまう。どうかお願いだからサビだけは知っててくださいお願いします。

とはいえ私も、ヒゲダンをフルコーラス歌えと言われたら困る。サビは知っているけど…とか言っちゃってる。それがジェネレーションギャップというものなのだ。だけど森高千里は今もテレビに出ている。だからこそ、2、30代のあなたにもう少しだけ知ってほしい。森高千里の「サビ」以外の部分を。

(本記事は、お名前すべてに「様」をつけたい気持ちをグッとこらえて、最大限の敬意を表しつつ親愛を込めて「森高千里」と呼ばせていただいております。)

森高千里の歌詞の世界

森高千里のデビューは1987年。時代としては、松田聖子、小泉今日子、中森明菜などが出てきた1980年代の少しあと。1995年の安室ちゃんブームより少し前。むちゃくちゃざっくりいうとそんな時系列だ。

彼女は、多くの曲を自分で作詞している。その背景には、こんなことがあったようだ。

当時、アイドルは冬の時代を迎え、バンドブームが起きていました。1人で活動していた森高さんは、ある日スタッフから作詞を薦められます。そして手がけたのが昭和63年に発売された「ザ・ミーハー」。斬新で個性的な歌詞が話題となりました。
                   (サイカルjournalより引用)

バンドブームと合わせて台頭した森高千里。さらには斬新で個性的な歌詞が話題とな。ならば、まずはさっそく、その『ザ・ミーハー』の歌詞をごらんいただきましょう。

お嬢様じゃないの わたしただのミーハー!
だからすごくカルイ 心配しないでね
お嬢様じゃないのわたしただのミーハー!
若いうちがはなよ 普通の恋 つまらないだけよ!
(『ザ・ミーハー』/森高千里)

すさまじく強いサビ・歌い出しである。「ミーハー」というおおよそ歌詞には登場しづらいであろう言葉を繰り返してる上に「!」までついてる。あと軽いじゃなくて「カルイ」。イまでカタカナ。チャラいとカルイはどっちが上なのだろうか。これは同義語か。

さて、ここで、フルコーラス…一番まででもぜひ聞いてみてください。

(映像の手作り感とインパクトすごいけど歌詞も聞いてね)

どんな歌かというと、こうだ。

ちょっとカルイ、現代でいうチャラ男に振られてしまった「わたし」。まわりは彼のことを悪くいって私のことを慰めてくるのだけれど、言っとくけど私ミーハーだからね?そんなに真剣にとらえてないんだからね?勘違いしないでよね。

ここまで聞くと、さっきのサビの印象が少し変わってきませんか。
情景は特に説明されていないけれど、もしかしたらクラブとかで出会ったのかな…色々あったあとに彼のこないクラブでわたしが強がっているのだろうか…。ちょっとお嬢様らしさを残して背伸びする女子が完璧に明確に浮かぶのだ。そう、森高さんの歌詞は本当に明確。透明で意思を感じる歌声が具体的に想像をする余地を与えてくれる。

『非実力派宣言』 発出

森高千里は、南沙織のカバー「17才」でブレイクを果たす。フリフリスカートのアイドル感の印象はとても強い中で、彼女はこの曲を含むアルバム『非実力派宣言』を1989年にリリースする。余命1989(イクバク)もなくても元気が出ちゃうよ『非実力派宣言』と覚えましょう。

実力は 興味ないわ
実力は 人まかせなの
実力が ないわいいわ
実力が 逃げて行くのよ
(『非実力派宣言』/森高千里)

え、どうしたの森高?卑屈になっちゃったの?って思いたくなる、ツイートみたいな歌詞。あくまで「実力」という言葉が繰り返される同曲の後半では、こんなフレーズが登場する。

実力が どうしたの
実力が 好きなのね

おっと、キレた?
これは卑屈じゃなくて、戦う歌詞だということもわかる。
ミーハーといい、非実力派宣言といい、どこか「アイドル」という存在と一線を画す強い姿勢はどんどん如実に現れていく。

そしてこの翌年にリリースされたこのバッキバキの森高イズムに満ちた曲が、『臭いものにはフタをしろ!!』。ええ、これは、シングル曲のタイトルです。

ある日突然知らない男が 私を呼び止めて
いいか ロックン・ロールを知らなきゃ もぐりと呼ばれるぜ
オレは10回ストーンズ見に行ったゼ

あんた一体なにがいいたいの 私をバカにして
そんないい方平気でしてると おじさんと呼ぶわよ
私ロックはダメなの ストレートよ
(中略)
腰をフリフリ歌って踊れば みんな忘れちゃうわ
理屈ばかりじゃお腹がでるわよ 誰かさんみたいに
私もぐりでいいのよ 好きにするわ
(『臭いものにはフタをしろ!!』/森高千里)

あまり下世話な読みはしたくないけれど、この時代の森高は何かと戦っている。だけどその戦法が、キラキラした衣装で、ミニスカで、美しくて、可愛くて、そんな姿でこんな歌詞書いて歌うっていうものだから、男性も女性も夢中になる。詳しくはわからんけど、だいたいのシーンは想像させてしまう明確さがやはりこの歌詞にもある。

どうかあなたも、キラキラ☆ミニスカでぶん殴られてください。

『私がオバさんになっても』がリリースされたのはこの曲の2年後の1992年。そして森高千里を代表する曲となり、つまりは森高千里の「サビ」の部分となった。とすれば、このサビにたどり着く前のAメロ部分の森高千里のことが30代以下にあまり知られていないことが悔やまれてしまうのだ。そろそろしつこいだろうか。

ストーリーテラー森高

森高千里の歌詞は、明確だということは何度も言ってきた。かさねて、彼女の曲には朗読劇のようなストーリーテリング曲がいくつもある。
代表的な曲は言わずとしれた『渡良瀬橋』だ。

渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
きれいなとこで育ったね ここに住みたいと言った
電車にゆられこの街まで あなたは会いに来てくれたわ
私は今もあの頃を 忘れられず生きてます
(『渡良瀬橋』/森高千里)

冒頭のフレーズでもう圧倒的な切なさを放っている。すべてが過去形になっていることと「あの頃」が切なさを増幅させるバラードだ。この曲は有名すぎるので多くを語りません。後で聞いておいてください。これはもう宿題にしておきます。

(ちなみにこのPVでもわかりますが、森高千里はドラムも叩きます)

注目すべきは、アルバムの中にさらりと入っている知られざるこの曲、『見つけたサイフ』です。

昔の話だけれど 小学生の時に
友達と塾の帰り サイフを見つけたのよ
私が見つけて サイフと叫んだ
気づいた友達 すかさず拾った
警察にすぐ 届けたのよ
だけども 警察では
拾った人は誰と 冷たく 聞いてきたの

見つけたのは私です だけども拾ったのはここにいる友達です
すると警察官は… 

(『見つけたサイフ』/森高千里)

こんな書き出しのブログだったらクリックして読んじゃうよ。
こういう、ツイートのようなブログのようなあけすけな感じが、森高の歌詞の醍醐味だと思うのだ。もはやエッセイともいえるのではないだろうか。

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令和だって森高千里はキレキレだ

さて、さんざん森高千里の歌詞の世界観を中心に書いて来たけれど、森高千里の凄まじさは、50代の今もキープされているという点にある。
2020年から2021年にかけて全国36箇所でのツアーが予定されていた。(現在は中止・延期が発表されている)

森高千里はユニットではない。一人で歌って踊って、全員の視線を集める。それがどんなに大変なことか。育児に専念した数年間、森高千里は仕事を制限していた。

森高千里がもっともコンサートをしていた時期にまだ子供だった私は、近年になって初めて生の森高千里を拝む機会に恵まれ、2017年と2018年と連続で森高千里のコンサートに行った。そこで驚いた。繰り返しCDで聞いていた声と違わぬ声と、輝きを放つ森高さんに。多少なまっていたとしても、おばさん感を醸していてたってしょうがない。そんな目を持っていたのは完全に失礼だった。しかも2017年よりも、2018年の森高さんはさらにキレッキレになっていた。場数を踏んでさらにパワーアップし、早着替え、ピアノ・ドラム・ギター演奏までもはさむサービス旺盛っぷり。そこでまじまじと実感したのだ。

そして、確信した。今の森高千里は「Bメロ」だ。サビばっかり繰り返し聞いていてはもったいない。フルコーラスで味わわなくてどうする。Bメロのあとにだってサビはくる。森高千里の音楽は止まらないし、止めないで欲しい。私も踊り続けたい。

だからどうかあなたも、森高千里をサビばかり聞いて、懐メロとして消費しないでほしい。

あとがき

さて、ここまでで森高千里を語りすぎてしまったが、末筆ながら自己紹介をしたい。私は東京で絵はんこ作家として活動している、あまのさくやと申します。この文章を書くまでには長い道のりがあった。

森高千里のことを書こうと思うと、思いが強すぎてどこから書いたらいいかわからなくなった。頭を整理するために森高千里のコンサートDVDを見はじめると、夢中で見て歌ってしまうので文章を書くどころじゃない。
キラキラした森高を見るにつけ、いつか絵はんこ作家として、森高千里と仕事ができないだろうかなと考えていたら、頭が『森高×はんこ』でいっぱいになった。なんでもできてしまいそうな森高さんだからはんこも彫ったことあるかもしれないけれど。公的にはんこを彫る機会があるなら私以外に教わって欲しくない…いや私が教えたいぞ…森高さんに彫って欲しいはんこってなんだろう…って妄想していたらいつのまにか熊本名物を彫り始めていた。だいぶこじらせている。

熊本


頭の中では、ふるさとの熊本を歌ったこの歌が流れている。

あとがき、よけいだっただろうかと、一抹の不安に苛まれつつ、

森高千里に、めいっぱいの、愛をこめて。

森高ドラム2


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