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信頼できる人とは、信頼できることをする人ではなくて、信頼できることを示してくれる人である(回りくどい)

こんばんは。

みなさん、意識しているかどうかは別として、自身が信頼できる人と周りに思ってもらえるように、信頼ならない行為をしないようにしていると思います。日常的にはそれでなにも問題ないはずです。

気づかずに迂闊なことをしてしまったとき、相手からの信頼がなくなってしまったとき、どうしましょうか? 相手からの信頼がなくなってもよくてあなたが会わなくてもいいなら、あなたはもうなにもしないでしょう。今回はそういった状況ではなくて、相手との関係を続けたい場合や関係をしばらく続けなければならない場合にしましょう。例えば仕事で取引先に多大なる失礼なことをしてしまったような状況でしょうか?

普段、良く会う相手で、定期的にお会いするなら、あまり問題ないです。しかし、あなたがお会いする頻度を選べるなら、あなたはこれからお会いする頻度を上げるでしょうか? 下げるでしょうか? 

下げる人が多いと思いますが、下げないほうがいいです。これは、理由は簡単で、たとえ、あなたが反省してこれからはもうそういうことをしないと決めたとしても、お会いする頻度を下げると、相手からは信頼できるかどうかの判断材料が減ってしまうからです。

けっこう勘違いしがちですが、信頼できる人というのは、信頼できる行為をし続ける人ではなくて、信頼できる行為をし続けることを示す人です。似ていますが、分かりやすい例があります。クレジットカードを例に出しましょう。

クレジットの「信用」というのは(ここでは「信用」と「信頼」は同じような意味で捉えてください)、「信用がある」というのは、カードの利用履歴に傷がない状態のことではないんですね。カードを利用して、しっかり借金を返している状態のことなんです。たくさんカードを利用して借金して、それをしっかり返済する。そうすると、カード会社はあなたを信用してくれます。

信用できる行為をし続けるだけでは、信用できない行為をしないだけでは足りないのか? と聞かれたら、足りないです。クレジットカードだってそうでしょう。信用情報に傷のない人が信用のある人なら、初めてクレジットカードを作るときに必ずブラックやプラチナの審査が通ります。しかし、現実にそうなっていないことは分かりますね。なぜ、傷がないのに信用がないのか。それは、信用があると示していないからです。ですから、段落頭のことは、足りないが答えです。

詐欺師というのは、自らが信頼できることを他人に示すのが上手なんですよね。そういう人への対処法は、客観的に物事を見ることですが、それが難しいんですよね。どうすればいいんでしょうかね? どんな人でも、自らが絡むと強い色眼鏡のせいで物事の良い判断がしづらくなるんですよね。

ちなみにですが、あなたがもう会わなくてもいい選択ができるときでも、会わない選択はすべきではないです。そういうことをするのは大体はあなたにコンプレックスがあって、とても痛々しいのですが、それを見つめる数少ない機会になります。それを避け続けていると逃げグセがつきます。すべてを真正面に受けろとまで言いませんが、そんなことばかりしていると成長できません。世間的に成功している人でも中身が子供っぽい人は、このパターンも多いとわたしは思っております。見ていると別の要因もあるので、一概には言えませんが。

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